人間の偉大さは恐怖に耐える誇り高き姿にある

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(1)

虚栄と誇りは違う。虚栄を満たすには他者を必要とするが、誇りは他者を必要としない

(2)

私の言いたいことは、口に日本文化や日本的伝統を軽蔑しながら、お茶漬けの味とは縁のきれない、そういう中途半端な日本人はもう沢山だということであり、日本の未来の若者にのぞむことはハンバーガーをパクつきながら、日本のユニークな精神的価値を、おのれの誇りとしてくれることである

(3)

10番は誇りに感じるし、結果を求められる番号。そういう意味でも物足りない。

(4)

アマは名誉のため、プロはカネのために球を打つ。両者の定義は、要するにカネが入るか出るかの違いに過ぎない。しかし、私は名誉を選んだことに誇りを持つ

(5)

本当に小さいんだから、しょーがないじゃない。むしろ、誇りに思ってるくらいだよ。バスケの歴史と定説を、自分の手で覆せるんだもの。願わくばこの3年間、僕より背の低いプレーヤーが現れないことを祈るよ

(6)

たいていのことは「そうでなくてはいけない」と言うほどのことはないんですよ。どっちでも同じなら、相手を立てたほうがいいじゃないですか。自分に本当の誇りがあったら、あまりこだわらないと思いますよ

(7)

この世はままならぬものです。泥の中でももがくような苦しい日々に遭うこともあります。ですが…矜持を見失ってはなりません。誇りさえしっかと胸に抱いていれば、どんな不幸にも耐えられないということはありません

(8)

たった一度のこの人生。あなたが選んだ道は、その歩きがいのある道か。誇りを持て

(9)

どんなにに努力したところで、すべての人が大臣にはなれませんし、社長になることも不可能です。みんなが資産家になることもむずかしいでしょう。それに対して、それぞれの天分に生きるということは、考え方によっては全員が可能だと思います。しかも、そのようにみずからの天分に生きている人は、たとえ社会的な地位や財産があろうとなかろうと、いつもいきいきと、自分の喜びはここにあるのだという自信と誇りをもって、充実した人生を送ることができると思います

(10)

美意識だ。たとえ一握りの砂、一本の鉛筆であろうとも、闘う以前に手にしたなら、武道家の誇りは崩れ去る

(11)

『道義的責任は世代を超えるのか』という問いには、世代を超える、というのが私の答えだ。祖国や民族の過去の歴史、文化、伝統に誇りを感じるとしたら、そこには人々を過去や伝統につなぐ『連続性』があることになる。世代を超えて過去に誇りを持つなら、過去の暗い側面に対し責任をとることもできなくてはならない

(12)

表彰は会社としてその人を認めるという明快な意思表明なので、受賞者はそれを誇りに思うことができ、周囲もそれを受け入れざるをえません。ポイントとなるのは透明なプロセスと、あらゆる人が表彰される可能性があるという公平さ。さらに、日の当たる人だけでなく、非正規社員やアルバイトなど縁の下の力持ちも対象となるような制度であれば、組織を活性化するご褒美として有効となります

(13)

社内には目立たずともコツコツと仕事をしている人たちが数多くいます。「彼には本当に助けられている」とか「彼女のおかげで、私はいろいろなことができている」という話を現場で聞くたびに、そういう縁の下の力持ちと言える人たちにも目を向けるべきではないかと思ったのです。そこで「現場の誇り賞」を創設しました。支店長でも工場長でもなく、本人の周囲にいる人たちが推薦し、皆でその中から受賞者を選ぶというものです

(14)

僕は自分がやっていることが大好きなんだ。自分のやっていることにとても誇りを持っている。そして物事を半分だけとか、4分の3、10分の9なんかで終わらせることはできないんだ。一度やると決めたら、最後までやり通すのが僕なんだ

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ともすると人間は評価が高まれば、驕りやすくなるものです。驕りを持って尊大になれば、どんな能力と実績があっても決して尊敬されることはありません。自信と誇りは持ち続けるべきですが、相手を尊敬する謙虚さを忘れないことが大切です。そしてそれが本当に高い評価と信頼を得ることにつながります

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