私の演技ってすごく類型的なの。樹木希林の名言 part2

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(1)

今の時代は型がなくても生きていける状態になった。でも死ぬ時に気づいて振り返ったときに、「あらーっ」て思うんじゃないかな、とも思うの。でも私はそういうふうにしては死ねないな、というのがある

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どれだけ人間が生まれて、合わない環境であっても、そこで出会うものがすべて必然なんだと思って、受け取り方を変えていく。そうすると成熟していくような気がするのよね。それで死に向かっていくのだろうと思う。でも人間ってだらしないから、あんまりいい奥さん、あんまりいい旦那さん、いい子供で楽だと、成熟する暇がないっていうか

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「病名は?」って医者に聞いたのよ。「いろんながんがあるけど、私の今の病名は何ですか」って聞いたら「全身ががんですよ」って言うのよ。「え、あ、私、全身ががんなんですね」って。そういうことなの。別に衝撃的でもなんでもないわけ。どこに出てもおかしくないがんなわけです

(4)

今は仕事のブッキングも全部、自分でやっています。そうじゃないと、人の人生までブッキングしちゃうからさ。がんを持病として持っているし。そういう身体であるということがすごく歯止めになっている

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「自由」っていうと格好が良すぎるけど、「責任がない、勝手」ていう感じかな。この作品の責任を取ろうと思うととても大変なんだけど、責任を取ろうと思わないから、すごく勝手なの。それが結果的に自由に見えるのかも。「予定調和にならない」というところは、私の生きてきた環境、出会いがそうしたのかな

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女優、俳優っていうのをこーんなにやっているとは思わなかった。なんかね1年間勤務しようというような感じ。大学も行かないし、専門学校も行かなかったし

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この年になると、がんだけじゃなくていろんな病気にかかりますし、不自由になります。~中略~ でもね、それでいいの。こうやって人間は自分の不自由さに仕えて成熟していくんです。若くても不自由なことはたくさんあると思います。それは自分のことだけではなく、他人だったり、ときにはわが子だったりもします。でも、その不自由さを何とかしようとするんじゃなくて、不自由なまま、おもしろがっていく。それが大事なんじゃないかと思うんです

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自分にとって具体的に不本意なことをしてくる存在を師として先生として受けとめる。受けとめ方を変えることで、すばらしいものに見えてくるんじゃないでしょうか

(9)

セリフがあまりない役をずーっとやってきたから、自分で存在感を示していくしかなかった。芝居はそういうものだと思ってきていたから。セリフがたくさんある役をやると、それがとても邪魔するわけ。自分で作っていかないと成り立たない人生を送ってきたから

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がんをやっつけようとすると、へばるとわたしは思ってるから、『薬出しますか?』って言われても、いらないって言う。薬飲んで寝ついてたら、もっともっと、がんが増えると思うのよね。闘うっていう感覚がないんだね。生活の質を下げないで、自然にいるような道を見つけようという生き方なの

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靴下でもシャツでも最後は掃除道具として、最後まで使い切る。人間も、十分生きて自分を使い切ったと思えることが、人間冥利に尽きるということだと思う。自分の最後だけは、きちんとシンプルに始末することが最終目標

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がんはありがたい病気。周囲の相手が自分と真剣に向き合ってくれますから。ひょっとしたら、この人は来年はいないかもしれないと思ったら、その人との時間は大事でしょう? そういう意味で、がんは面白いのよ

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今日、用事があること(きょうよう)を『今日用』と言っているんだけど、神さまがお与えくださった『今日用』に向き合うことが毎日の幸せなのよね。『今日用』をこなす事が、人生を使い切ったという安堵につながるんじゃない

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自分が生きてきたことが、人様のご迷惑にならないようにと思ってるの。生きていることによって、出すゴミがないようにね(笑)。『役目を存分に果たした』と思えるように、「人生を始末」する気持ちで毎日を過ごしてるのよ。新しいものはめったに欲しいと思わないし、家のテレビはいまだにブラウン管なんだから

(15)

病を悪、健康を善とするだけなら、こんなつまらない人生はないわよ

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