みじめな思い出が、人生で貴重な財産となるときもある。小説家 五木寛之の言葉

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(1)

うんと男っぽい要素を持っている女の人ほど女らしいところがあるもんだね。

(2)

証明することができない事柄を信用しない人がいる。

科学的でない、という理由からだ。

しかし、私たちは科学だけで生きているわけではないし、市場原理だけで暮らしているわけでもない。

(3)

尊敬する先輩たちの書かれた本は読んでも身につかず、飯を食ったり、雑談として聞かされた話ばかりが記憶に残っている。
こういう知識を耳学問といって、何となく馬鹿にする感じがある。
しかし、仏教には「面授」という言葉があって、肉声を聞くことは大事にされてきた。

(4)

私たちは、よろこびをもって生きたい。

それを待っているだけではなく、自分からさがし出すことに慣れなければならない。

どんなにつまらないことであってもいい、それをきょう一日の収穫として大事にしたい。

(5)

仏教には「中道」という考え方があります。

これは相対立する二つのどちらか一方だけに偏らない、しかしいつも真ん中にいればいいというわけではない。

両方を大事にせよということです。

(6)

みじめな思い出が、人生で貴重な財産となるときもある。

(7)

僕は、持続するということに一つの価値を見出しているんです。
愚かしいことでも持続することが大事だと思っている。

(8)

日本には世界に誇るべき思想がふたつあります。ひとつはSyncretism(シンクレティズム)、神仏混淆という考え方です。仏壇と神棚が同居していても争いにならない。一神教同士の原理主義的な宗教対立が先鋭化して世界の発展を阻害している時代だからこそ、共存思想が輝きを放つのです。もうひとつが、Animism(アニミズム)、山にも川にも、一木一草にも精霊や神が宿るという考え方です。今日の環境問題の根底には西欧的な人間中心主義があります。人間も地球の一員という発想は、アニミズムの根からしか生まれてきません。

(9)

私自身は、さんざん苦労していろんな目に遭って生きてきたのだから、「疲れたけれど、これで休めるか」というようなホッとする気持ちで死に臨めればいいな、と考えています。

(10)

本居宣長は人は生きている限り悲しい目にあうと言っています。
悲しいときにどうするか。
悲しみから目をそらさずに悲しめと宣長は言います。
悲しいと思え。そして悲しいと呟け。人にそれを語れ。歌にも歌え、と。
そうすることによって自分の中の悲しみを引きはがして客体化することができるし、それを乗り越えられる。

(11)

愛に生きる男がいても一向におかしくないように、義に生きる女がいて悪い理由がない。

(12)

肉体的な弱点でも、内面的なものでも、それを他人に気づかれまいと苦心するところから人間は醜くなるのです。

(13)

人間は誰でも自分が一番大切なのです。
そして、そのことを本当に自覚した人間だけが、他人を大切に思うことができるのです。

(14)

メタボリック症候群という言葉がすっかり流行語になりましたが、あんなものに踊らされるのが一番いけない。日本は世界で最もメタボ基準が暴走した国です。本当に長生きで健康なのはちょっと小太りな人だとよく言われる。ウエスト幅の健康基準などというものを国家が決めるのはファシズムです。

(15)

「人間には無限の可能性がある」というような言い方には、どこか嘘があると思う。

人間にはできることと、そして、できないことがある。

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