大事な物を失ったなら、失ったことに意味があるのだと受け止めて下さい。江原啓之の言葉

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(1)

『因縁果』と言いますが、良きことも、悪しきことも必要以上のことは起こらず、物事には、必ず因があるのです。たとえば、人間関係のトラブルは、その人の心のありかたに起因しています。また、病気になるのは、健康を過信して、不摂生な生活をしていたり、想念から生じることもあります。皆さんは“厄”をいたずらに恐れていますが、それは自分の行動や思い癖を“気づかさせてくれること”であり、自分を成長させてくれる幸いでもあるのです。何か厄を感じたら、『こういう目に遭ったということは、ここを軌道修正しなければいけないんだな』と、理性で判断してください。

(2)

『厄年だから結婚できない』『厄年だから仕事で失敗した』などと考えることは、あまりに短絡的です。それに『厄を祓わないと恐ろしいことが起こりますよ』という脅しは強い気持ちで拒否しましょう。私は『厄年だからお祓いに行ったほうがよいのでしょうか』というご相談に関しては、『神社にお参りするより、まずは人間ドックに入って、健康をチェックしましょう』と、おすすめしています。

(3)

『長く生きること=幸福でいい人生』とはとらえません。人生は長く生きたから幸せというのではなく、短い人生であろうともいかに充実させて生きたかが重要です。

(4)

親のただ一つの責任は、社会に生きるルールと愛情を教えること、それだけです。

(5)

たとえば大切なご両親を亡くす、ご兄弟を亡くすといったとき、その悲しみはあって当然です。

それを乗り越える時大切なのは、“あぁ、あのひとに恥じないように、元気で幸せに生きないといけない”と、自分の顔を前に向ける、ということです。

(6)

小我のひとは不幸の数を数え、大我のひとは幸せの数を数えます。

日本はまさに小我の国になってしまって、みんなで不幸の数ばかり数えている。

もし幸せの数を数えたら、すごく恵まれている、と実感できるはずなのに。

(7)

“きょうもご飯が食べられて幸せ”“きょうは駅まで歩けて幸せ”

いろいろな幸せがある。だから大我に生きるってすごく大切なこと。

何か苦難にぶつかった、と感じたら、どうか幸せの数を数えてみてください。どんなときでも、圧倒的に幸せの数のほうが多いはずですから。

(8)

日本人には、もともと「お天道様の下を歩けない」「バチが当たる」「良心の呵責」といった観念がありました。これ、全部誰も見ていないの。自分の中に自浄能力を持っていた。目に見えないものに対する「敬意」を持っていた。しかし、今の時代、その美徳が随分失われてしまいました。

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(9)

いつも言っているのは、「人生の地図」を持つこと。

生きる上で、自分自身の地図、人生の目的をちゃんと持ちなさいということです。

旅行でもそうですが、目的地がなければ、そこにたどり着くことはできないでしょう?

(10)

人生、どこにいたって苦しいのは一緒です。

だったら、どうしたいか考える。

人生なんてあっという間ですから、楽しまなくちゃ。

ダラダラと悩んでいる時間なんて、もったいない。

(11)

幸せの基準は比較するものではありません。大切なのは、今日からでも、一からでも違う仕事をやれるような、どんなときにも生き抜ける人間力をつけることです。人間力を高めるヒントは、昔のことわざにもあります。例えば「稼ぐに追いつく貧乏なし」。昔はことわざで自己カウンセリングしてきました。今は失敗すると、非難ばかり集中しがちですが、「人の振り見て、わが振りなおせ」と戒めることが大切と思います。

(12)

私の人生のモットーは「ぼやぼやしていたらすぐ死んじゃう」ですからね。両親が短命だったせいか、生きることは有限で時間がもったいないという気持ちが強く、なんでも真剣に打ち込んでしまいます。だから、ぶらぶら休むことがないですね。すぐに目標を作って何かをはじめてしまうのです。寝るにしても「今日は一日中寝る」なんてことも目標にしています。

(13)

私はよく宿命は素材で、運命は料理だと言います。素材は変えられないけれど、しっかり良さを知り、うまさを際立たせたおいしい料理を作ればきっと幸せな人生を送れると思います。

(14)

大事な物を失ったなら、失ったことに意味があるのだと受け止めて下さい。
一つの舞台が終わり、次の新たなる舞台が用意されているのだとむしろ希望を持って下さい。

(15)

誰にも明日はわかりません。
いつどうなってもいいように、
毎日に思いを込めて生きていかなくてはいけないのです。

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