どこか欠けているところがあると思い込み、それを物質で埋めようとする行為は必要ない。ほとんどが欠けていると思い込まされているだけ。欠けている人なんかいない。映画監督・紀里谷和明の言葉

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(1)

根拠がないから自信って言うんだよ。

根拠があったらそれは権威だ。

それが君らを苦しめる。

その自信ってものは

文字通り自分を信じるということ。

他人がどう思うかなどどうでもいい。

(2)

昔の人が

「苦労は買ってでもしろ」と言うのを聞いて、

苦労をすると後でいいことがあるよ。

という意味に捉えていたが、

実は苦労を愛する事により

億劫な事がなくなり前に進めるよ。

と捉える事もできると理解するようになった。

(3)

みんな言うんだよ

「俺だってバッターボックスに立てたらヒット打てる」って。

しかし実際はそんな簡単な事ではない。

そして立たないとわからない。

(4)

地球のどこを切り取っても美しい。

本当に美しい。

でもなんで世界はこんなに醜く、

苦しみと暴力に満ちあふれているのか?って。

喜びや幸せは

その暗黒の切れ間からもれる儚い光のように見える。

(5)

報われるか報われないかなんて

神が決める事。

たいして重要じゃない。

でもとことんやるって楽しいじゃん。

(6)

サービスも政治も教育も、

受け取る側の感覚が麻痺して

何も返さずに受け取るだけが

当たり前と感じ始めた時に

人間性の腐食が始まるのだと思う。

(7)

自分に

どこか欠けているところがあると思い込み、

それを物質で埋めようとする行為は必要ない。

ほとんどが欠けていると思い込まされているだけ。

欠けている人なんかいない。

(8)

「ダサい」とか「ダサくない」とか

結局は全くの主観。

しかしどれだけの人間が

特に子供がそれに惑わされ、

萎縮して、苦しめられていることか?

(9)

美しいものに

見極められる必要があるのだろうか?

審美眼という言葉自体、

第三者の視点を意識した恐怖が含まれている。

そんなものは必要ない。

君は既に何が美しいか知っている。

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(10)

名言というのは

聞いた人達が頷くから名言なのでしょう。

と言うことは聞く人たちが

既にその答えを心の何処かに

持っていないと頷けない。

つまり答えは

みんな知っていると言うことではないでしょうか?

(11)

人にはサイクルがあり、

物事がうまく行くときと行かない時がある。

大体十年周期で変わるような気がする。

だからうまく行かなくてもそれはしょうがない。

(12)

暴力とは他存在の自由を妨げる行為。

その暴力に私達は過剰な消費で加担している。

過剰消費の根元は虚栄。

虚栄は認識されないかもしれないという恐怖。

そしてその恐怖により自身の自由も窒息する。

(13)

やりたい事をやって、

好きな人に好きと言って、

愛している人に愛してると

言わなければならない。

当たり前だけどそう思う。

その他をやっている時間はないんだよ。

(14)

人はいつか死ぬ。

そして君を笑う奴ら、

苦しめる奴らもいつか死ぬ。

そして君を知っている人間は誰もいなくなり、

この地球ですらいつかなくなってしまう。

であれば

自分の思う通りに

正直に生きてもいいのではないだろうか?

(15)

偽善者と言われるのを

死より恐れている人達が多い。

その気持ちはわからなくもない。

しかしその恐れに屈してしまうと、

手も足も出なくなる。

そしてもっと良くないのが、

屈した自分の不甲斐なさを正当化する為に、

他人の偽善叩きにまわってしまう。

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