中国古典『菜根譚』より

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(1)

肝臓が病むと目が見えなくなり、

腎臓が病むと耳が聞こえなくなる。

このように、

病は他人からは見えないところで始まり、

やがては誰でもが見えるところに現れる。

だから、

人の上に立つ者は、

人前で罪を受けたくないなら、

先ずは人から見えないところでも

罪を犯さないようにすべきである。

(2)

耳にはいつも

聞きづらい忠言や諌言を聞き、

心にはいつも受け入れがたいことがあって、

それではじめて、道徳に進み、

行動を正しくするための砥石となるのである。

もし、言葉がすべて耳に心地よく、

ことがらがすべて心に快適であれば、

それは、

この人生を自ら猛毒の中に

埋没させてしまうようなものである。

(3)

せっかちで心が粗雑だと、

一つの事さえ成し遂げられない。

なごやかで平静だと、

多くの幸いが自然に集まる。

(4)

不名誉な行為や評価は、

それをすべて他人に押しつけてはならない。

そのわずかでも自分が引き受ければ、

自分の才能をひけらかすことなく

人徳を養うことになる。

(5)

小人からは、

むしろ憎まれたほうがよい。

(6)

怠け心が生じたときは、

自分よりすぐれた人物のことを考えよ。

(7)

人が世の中を生きてゆく時には、

自分から一歩を

ゆずることがよりすぐれた道である。

この一歩をゆずることが、

それがそのまま一歩を進める根本となるのである。

(8)

下り坂に向かう兆しは

最盛期に現れ、

新しいものの胎動は

衰退の極に生じる。

(9)

分に過ぎた幸運は、

人生の落とし穴だ。

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(10)

他に先がけて開いた花は、

散るのもまた早い。

(11)

暴風雨の日には、

鳥や獣でさえも悲しそうである。

ところが天気晴朗の日には、

草木でさえもうれしそうである。

これにより、

天地に一日も和気がなくてはならず、

人の心に一日も喜びの精神が

なくてはならないことがわかるのである。

(12)

自分の心情の動きというものは、

平穏な状態もあり、乱れる状態もある。

であるから、

どうして他人にだけ

いつも平穏な状態でいることを望めようか。

(13)

家庭にある時の戒めとして二語ある。

それは

『ただ思いやりが深くさえあれば、

家族の心はおだやかであり、

ただ倹約さえすれば費用は十分に足りる』

という二語である。

(14)

常に喜びの気持をもって暮らすことが、

幸福を呼びこむ道である。

(15)

水のしたたりによって、

石も穴をあけられる。


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