皆が迎える死はタブーでも何でもありません。むしろ私たちはよき人生のために、タブー視しないで話し合うべき。緩和医療医 大津秀一の言葉

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(1)

治る人も治らない人も

同じように治療されていて、

「これでいいのか」と迷いがあった時に、

大事なのは

QOL(クオリティー・オブ・ライフ=生活の質)だ、

その人を支えてあげるのが

医療だと思ったのです。

(2)

末期がん患者に点滴をすると、

むくみが出てかえって苦しくなる。

そこで点滴を減らすと、

緩和医療を知らない病院では

「安楽死させる気ですか」と言われる。

(3)

がんの末期など重い病気の時、

残りの時間を知らずに過ごす人が少なくない。

(4)

がんは、

余命が2か月くらいになると

急に状態が悪くなり、

放物線のようにすとんと落ちます。

(5)

全く後悔がないという人は少ないです。

だいたいの人は、

大なり小なり後悔はあるし、

それは普通のことだと思います。

(6)

弱気になったら負け、

死や最期について考えてはいけない、

という雰囲気があります。

死をタブー視して逃げたくなるのですが、

逃げれば逃げるほど追いかけてくる。

(7)

終末期の患者に抗がん剤を使うと、

副作用で衰弱が早まって

むしろ命を縮めるとか、

「生きたい」と思ってやることが、

苦しみを増すこともあります。

(8)

死が身近だった時代は、

死はいつか来るもの、

我が身のものとして

感じられていたように思います。

現代は長寿になって死が遠ざかり、

まさか自分にそういう不幸が訪れるとは思わない。

(9)

死んだら

「仏になる」「あの世に行く」と考える人と、

死んだら無であり、

すべてが終わると考える人では、

死への恐怖感は違うと思います。

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(10)

西洋は善悪の判断は抜きとして合理的で、

もう助からないと思えば、

延命措置はしない。

日本人は、

生が無上の価値を占めている。

来世がある、と考える西洋人と、

死んだら終わり、と考える

現代の日本人では、

延命治療に対する考え方は違うと思います。

(11)

終末期になって、

家に帰りたい、外食したい、

遠くに旅行したいとか、

ささいと思えることでも、

家族に遠慮してできない人もいます。

「まさか自分がこんな病気に」

「まさかこんなに早く悪くなるとは」と、

まさかだらけです。

やろうと思っていたことができなくなってしまう。

(12)

死が近くなると、

ライフレビューといって、

自分の人生を想起します。

それが本人の癒やしにもなるのですが、

皆さん、自分のルーツから

さかのぼって話すことが多い。

認知症の人でも、

子供のころのことは心に焼き付いています。

(13)

自分が思っている以上に、

仕事人間の人が多いのではないでしょうか。

脳梗塞などで働けなくなった時、

趣味など、ほかの引き出しがあれば、

乗り越える力になります。

(14)

率直に真実を語り合ったほうが、

その時は衝撃を受けても、

結局はみんなで支えあっていくことができる。

一度は家族がぶつかり合っても、

それを機にわかり合い、

まとまることもあります。

腫れものに触るように接するほうが、

患者は孤独になるし、家族も後悔することになる。

(15)

時が来て死んでいくこと自体に善悪はありません。

医療者やご家族の一部が

死を必要以上にタブー視していることが、

患者さんの孤独を招いていると思います。

皆が迎える死はタブーでも何でもありません。

むしろ私たちはよき人生のために、

タブー視しないで話し合うべき時代を

迎えているのだと思います。

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