【男の品格】北野武の名言【大人の魅力】

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北野武

ビートたけし(1947年1月18日 – )は、日本のコメディアン、タレント、映画監督、俳優。本名:北野 武(きたの たけし)。日本国外では本名名義の映画監督・北野 武としての知名度が高い。

東京都足立区島根出身。オフィス北野所属。

若いのが作法を学ばないのは、手本になる大人がいないからだ。少なくとも男にとっての作法は、ある種の憧れだったり、「あのときのあの人は格好良かったな」という記憶だ。身近にそんな人がいたら、強制なんかされなくたって真似したくなる。鮨の食い方にしても、酒の飲み方にしても、昔はそうやって格好いい大人の真似をして覚えたものだ。そう考えると、年寄りが「いまの若いのは作法がなってない」と言うのは、天にツバするのと同じことかもしれない。

成功の秘訣は
いちばんなりたいものじゃなくて
その人にとっては二番目か三番目の
違う仕事に就くこと。
自分にはもっとやりたいことがあるんだけど
今すぐにそれをできる能力は
ないから違うことをやってます。
それぐらい自分を客観的に
見られるやつのほうが
成功する可能性は高い。

「体罰反対。何事も話し合いで」という理想論もいいんだけど、体罰教育をしなかった結果、教師やオヤジなどの大人を怖がらないどころか逆になめ切るだけのガキになってついには教師もオヤジも子供からぶっ飛ばされるという世の中になってしまったんだよ。

男の嘘は、いってみれば「女の人の化粧」と同じだから。女の人は化粧して嘘ついてるわけだからさ。それに男の人は女の人と付き合う時は、言葉やなんかで化粧してるわけだから

「学校の勉強なんて役に立たない」的な意見を目にする度に、ビートたけしの「勉強を教科の範囲内としてしか捉えられないなら相当頭悪いよ。哲学や論理的思考を養って人生を楽しむ、応用が利くように、あえて国語や数学って形でパッケージして教えてるんだよ」

物体は激しく動けば、それだけ摩擦が大きくなる。人間だって、激しく動くと熱を持つのだ。はたから見れば、輝いている人間のことが、きっと羨ましく見えるのだろう。だけど、輝いている本人は熱くてたまらない。星だって、何千光年という遠くの地球から見れば、美しく輝く存在だ。「いいなあ、あの星みたいに輝きたい」人はそう言うかもしれないけれど、その星はたまったもんじゃない。何億度という熱で燃えている。しかも、燃え尽きるまで、そうやって輝いていなくちゃいけない。これは真面目に、結構辛いことなのだ。

人を気持ちよくさせる方法ってたくさんあるけど、挨拶ってその中の一つだよな。

世界に何十億と女がいるのに、一人の女に振られただけで、そんなに落ち込んでどうする。もっと素晴らしく、お前を愛してくれる女の子は一杯いる。めぐりあってないだけだ。

「何に興味あんの?」って言ったら、やっぱ自分に興味あるしさ。「何に腹が立つ?」って聞かれれば、やっぱ自分だしさ。
「誰が一番好きか?」って言えば、これも自分自身なんじゃないかね。

上に立つ人間っていうのは、完全に孤独じゃなきゃいけないって思う。側近を作るとか、若い奴と仲良くしようとか、そういうのはもう愚の骨頂。

放浪と旅の違い、わかりますか?目的があるかないかです。

将来はさ、将来はみんな不安なんだよ。でもそれをあえて出さないほうが、男としてはカッコいいと思わない?

世間では妙にありがたがっている部分もあるけど、若さって俺は大した特典ではないと思う。年齢は関係なくて、無茶をできるスピリットを持っているかが問題。

死ぬのが怖くて、どうにもならない時期があった。高校生から大学生にかけての時期は、毎日のように死について考え、死ぬことに怯えながら生きていた。死んだら人間どうなるとか、天国や地獄があるのかとか、形而上学的な問題を思い悩んでいたのではない。自分が生きているという快感がないまま、生きたって記憶も何もないまま、この世から消えることが怖かったのだ。

暴力シーンは淡泊に撮るが、音には凝っている。俺の映画で使っている銃の発射音はすべて本物だ。役者がトカレフを撃っているときは、ちゃんとトカレフの音がしている。床に転がる薬莢の音までが本物だ。俺のところには、世界に出回っているほとんどの銃やマシンガンの発射音の、膨大なコレクションがある。音響さんがアメリカに行って、ものすごい苦労をして録ってきてくれたのだ。言わなきゃ誰もわからないだろうけれど、不思議なもので、観客は無意識にその違いを感じている気がする。

人生に幸せなんて求めること自体勘違いなんだよ

どんなにワインに詳しくても、ソムリエにワインのことを語ってはいけない。そんなことをしたら、ソムリエは何も大切なことを教えてくれなくなる。「このワインはどうして美味しいの?」と、聞くべきなのだ。

俺は怒ったり、命令したりはしない。まずスタッフに聞く。「こういうふうに撮りたいんだけど駄目かな?」「このシーンはどうやって撮ればいい?」最終的には自分のやりたいようにやっているのだが、もしかしたらもっといい意見が出るかもしれないから、まず聞くのだ。みんな映画が好きでこの仕事をしているわけだから、意見を求められれば、一所懸命考えて働いてくれる。だから手抜きなんか絶対にしない。スタッフの能力を最大限に引き出すには、これが一番だと思っている。

変な言い方だけど、自分のために死んでくれる人間が何人いるよりも、そいつのためなら命をかけられるって友達が1人でもいる方が、人間としては幸せだと思う。

作法というのは、突き詰めて考えれば、他人への気遣いだ。具体的な細かい作法をいくら知っていても、本当の意味で、他人を気遣う気持ちがなければ、何の意味もない。その反対に、作法なんかよく知らなくても、ちゃんと人を気遣うことができれば、大きく作法を外すことはない。駄目な奴は、この気遣いがまったくできていない。人の気持ちを考えて行動するという発想を、最初から持っていないのだ。

人間の知恵や創造力は、壁や障害があってこそ豊かに発揮される。分厚い壁が目の前にあれば、子供は放っておいても、なんとかしてそこから自由になろうともがく。壁をぶち壊そうとする奴もいれば、壁の下に穴を掘ろうとする奴もいるだろう。壁の内側に、誰も気づかなかった自由を見つける子供もいるだろう。知恵や創造力で壁を乗り越えるところに、自由の喜びがある。何でも自由にやっていいよという世界では、知恵も想像力も働かせる必要がない。最近の子供にはやる気がないというけれど、それはそういうことの当然な帰結なのだろう。

個人とか、個性を大切にするのが現代社会の特徴だ、みたいなことを言うけれど、現実にはその正反対のことが起きている。実際には、個人が社会の中に埋没して、個人の命が社会という巨大な機械に組み込まれた部品のひとつになってしまった。しかも、その部品の代わりはいくらでもある。だからこそ逆に、個人主義とか言い出したんじゃないだろうか。個人の自由を極端に制限した戦争中の方が、むしろ個人というものを際立って意識できていたような気がする。

子供の教育で大切なのは、タガのはめ方と、外し方なのだ。タガを外しすぎれば、桶はバラバラになってしまう。タガをきつくはめすぎても長持ちしない。自由に何でも好きなことをしなさいと言われたって、何をしていいかわからないという子供が多いんじゃないか。自由というのはある程度の枠があって初めて成立する。なんでもやっていいよという枠のない世界にあるのは、自由ではなくて混沌だ。子供に自由の尊さや、喜びを教えたいのなら、きちんとした枠を与えてやるべきなのだ。

人間のやることは不思議で、不条理なのだ。俺だって、アフリカで何万人もの人が飢え死にしているっていうのに、映画なんか撮っている。

臭いものには蓋をする文化とでもいうか、最近は世間がとにかくきれいごとの、その場しのぎばっかりするようになった。そんなものは、差別用語の問題と同じ話で、ものごとの本質には何も手を触れずに、表面に覆いをかけて誤魔化しているだけのことだ。

自分の子供が、何の武器も持っていないことを教えておくのは、ちっとも残酷じゃない。それじゃ辛いというなら、なんとか世の中を渡っていけるだけの武器を、子供が見つける手助けをしてやることだ。それが見つからないのなら、せめて子供が世の中に出たときに、現実に打ちのめされて傷ついても、生き抜いていけるだけのタフな心に育ててやるしかない。

マイホームパパだかなんだか知らないが、いつもニコニコ笑っていて、子供の気持ちがよくわかる、物わかりのいい父親が理想だなんてことになった頃から、ども教育がおかしくなった。駄目だものは駄目なんだと父親が教えてやらなきゃいけない。父親が子供に媚びを売ってどうする。結局は自分が可愛いだけのことなんじゃないか。父親は子供が最初に出会う、人生の邪魔者でいいのだ。子供に嫌われることを、父親は恐れちゃいけない。

いまの社会は、人生とは何かとか、人間の生きる意味は何かみたいなことを言いすぎる。若い人には、それが強迫観念になっている。何かとそういうことを言う大人が悪いのだ。自分たちだって、生きることと死ぬことの意味なんか絶対にわかってないくせに。天国や地獄が本当にあるのかも、神様がいるのかいないのかも、誰も証明したことがないわけだ。そういう曖昧な状態なのに、生きる意味を探せなんてことを言われたら誰だって迷うに決まっている。

戦争が終わって、人は自由になった。だけど、自由になった個人は、自由になった自分にものすごい不安を抱いている。なんでも自由にやっていいんだよと言われた途端に、自分が何をしたらいいかわからなくなってしまった。だから、誰でもいいからリーダーを探してくっついていこうとしたり、なんとしてでも友達の輪の中に入れてもらおうとする。

作風が固まってしまったら、あえて捨てなきゃいけないかなと思う。安定した成功なんて、この歳になったら当たり前のことなのだ。「今度の映画も面白かったね」なんていわれても、そう無邪気には喜べない。やっぱり、誰も撮ったことのない映画をつくりたい。

いい漫才をしているときは、何をしゃべったか憶えてなかった。いい映画を撮っているときは、神経がピリピリしてくる。いい絵を描いているときは、よだれが垂れる。集中しているかどうかってことなんだろうが、では、どういうときに集中するかっていうと、これがよくわからない。自分でコントロールできるものではないようだ。わかるのは、集中しているときは、脳みそを全部使っている感じがするってことだ。

金のことでつべこべ言うと、母親にこっぴどく叱られたものだ。誰だって、金は欲しいに決まっている。だけど、そんなものに振り回されたら、人間はどこまでも下品になるというのが俺の母親の考えだった。貧乏人のやせ我慢と言ったらそれまでだが、そういうプライドが、俺は嫌いじゃない。

世代が違うと話が合わないなんて言うのは間違い。話が合わないんじゃなくて、話を引き出せない自分がバカなのだ。年寄りとお茶を飲んでいて、「おじいちゃん、この茶碗は何?」って聞けば、何かしら答えが返ってくる。きっかけさえ作ることができれば、思いもよらない話が聞けることもある。相手はいい気持ちになれるし、こっちは知らなかったことを知る。相手が小学生だって同じだ。

自分を客観的に眺めて、生きていることを演出するとしたら、一番の理想は、いい映画を撮れたときに死ぬことだ。しかし、映画っていうものは完成した瞬間に、気に入らないところが次々に見えてくる。自分の映画に、満足することはない。満足するようじゃ映画監督なんて続けられない。だから俺も、生きることに興味がないなんて言いながら、いざ死神があらわれたら、こう言ってしまいそうな気がする。「あと1本だけ映画撮らせてくれねぇか」人間、歳を取るとずうずうしくなる。

料理人に会ったら料理のこと、運転手に会ったらクルマのこと、坊さんに会ったらあの世のことでも何でも、知ったかぶりせずに、素直な気持ちで聞いてみたらいい。自慢話なんかしているより、ずっと世界が広がるし、何より場が楽しくなる。たとえ知っていたとしても、一応ちゃんと聞くのだ。そうすれば、専門家というものは、きっとこちらの知らないことまで話してくれる。井戸を掘っても、誘い水をしないと水が湧いてこないように、人との会話にも誘い水が必要なのだ。

他人への気遣いで大切なのは、話を聞いてやることだ。人間は歳を取ると、どういうわけかこれが苦手になるらしい。むしろ、自分の自慢話ばかりしたがるようになる。だけど、自慢話は一文の得にもならないし、その場の雰囲気を悪くする。それよりも、相手の話を聞く方がずっといい。

スポーツ新聞に「たけし、再起不能か?」なんて書かれた、あの原付バイクの事故からもう12年の歳月が過ぎている。あの事故を境にして、生きていることに、あまり興味がなくなった。あの事故でわかったことは、運命なんてものは、自分でどうにか動かせるものじゃないということ。どんな運命が待っていようと、それをそのまま受け入れるしかない。

おそらく脳には、節電モードみたいなものがついていて、ちょっと慣れてくると、すぐに楽をしようとする。絵でいうなら、描き慣れるということがある。たとえば、ゴリラの絵を描くとする。初めてだから上手く描けないんだけど、絵としては悪くない。ところが、調子に乗って同じゴリラの絵を何枚も描いていると、だんだん手が慣れてきて、すらすら描けるようになる。そうなると、絵としてはつまらない。描き慣れた絵は、見てもあんまり感動しない。

お金がないことを、そのまま「下流社会」といってしまう下品さに、なぜ世の中の人は気づかないのだろう。「武士は食わねど高楊枝」という気概はどこへ消えたのか。うちは貧乏だったけれど、母親は商店街で投げ売りをしているような店には、絶対に並ばなかった。どんなに遠い店でも、1円のお客を大切に扱う店に通っていた。

いまのたった今の時点で努力していない奴らは死ぬときに必ずオロオロするんじゃないのかって思う。それまで何もやってきていないんだから。なにひとつ自分に満足していないんだよね。駄目な奴は。じゃあお前はどうだって言われると、いったい何をしてきたんだろうかって考えると、もう愕然としてくる。強烈なんだ。その問いかけは。どんなに素晴らしい人でも、それは誰にでも当てはめて言えるわけだし、これをしてきたって言える人間はいない。やればやるほど、人間は抜けた部分に気づく。だからやっぱり、人間自分の目の前にあることを一生懸命やるしかない。

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