【名言】百田尚樹の「歴史から学ぶ」人生哲学【語録】

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百田尚樹

1956年2月23日生まれ

放送作家、小説家

安倍晋三総理が日本の首相として、七年ぶりに靖國神社に参拝された。日本のために戦い、尊い命を捧げた英霊に対し、一国の首相が感謝し、尊崇の念を表するのは、当然のことである。私もあらためて英霊たちのご冥福を祈りたいと思う。

日本では、作家は反権力やサヨクのポーズを取るほうが人気が出る。右翼とみられたり、そのイメージがつくと、本が売れなくなる。だから多くの作家はサヨク的な発言をするか、あるいは政治的な発言は一切しない。私も編集者に「ツイッターをしなければ、もっと本が売れるのに」と言われる。ほっとけ!

東京裁判ははっきり言ってしまえば、「裁判」に名を借りた「日本人の処刑」である。捕虜を処刑するのに、形だけの裁判を開いたようなもの。日本人が悪くなかったと言うつもりはないが、「平和に対する罪(A級戦犯)」での処罰が正当なら、米、英、中、ソ連にも処罰されるべき人物が多数いたはずだ。

私は政治家に品格を求めない。金に汚なくても許す、女にだらしなくても許す。しかし、日本を愛していない政治家だけは許せない。ましてや中国と韓国の顔色を見ながら発言する政治家は論外!

自慢じゃないが、58年間、一匹狼でやってきた。朝日新聞を後ろ盾にしてものを言う人間とか、匿名でものを言う人間とは違う。

テレビでいえば、視聴率の高い番組が面白いとは限らない。だけど面白い番組の視聴率は必ず上がっていくんです。実は本だってそうだと思っています。売れている作品が面白いとは限らないけれど、面白い本はどんどん売れていく。

第二次世界大戦では約300万人の日本人が亡くなったと言われます。日本中が焼け野原になって、会社もほとんどが潰れた。普通なら立ち直ることなんてできないですよね。それを日本人はたった20年でヨーロッパの国々を追い越し、「経済大国」と呼ばれるまでに復興させた。これはね、ひとりの天才がやったことじゃない。親父たちのような無名の労働者がそれぞれの世界で頑張ったから、今の日本があると思うんです。

仕事ってね、僕はこう思っているんですよ。好きな仕事をすることよりも、就いた仕事を好きになることが大事。どんな仕事でもやりようによって、あるいはのめりこみようによって魅力がにじみ出てきます。

真剣に働き始めたのは、35歳で長男が生まれてからです。それまでも普通に仕事はしていましたけど、どこか腰を据えていないところがあったんですね。でも、「この仕事で家族を養っていくんだ」という意識が生まれてからはがむしゃらでした。そこからの10年は自分でも本当によく働いたと思います。

日本人としては「ほんとうは、あの戦争って何だったんだろう?」「戦前の日本とは、どんな国家だったのか?」というあたりから戦後すぐに考え直さねばならなかったんだと思う。侵略戦争といわれた行為一つ取っても、当時世界中で同じことをしていた欧米の戦勝国らは、なぜ断罪されないままなのか。このあたりの自虐史観では捉えられない疑問については、じつはマスコミなどでは発言していない、ものいわぬ「サイレント・マジョリティ」とされる人たちのほうが、敏感に察知してるんじゃないか。

靖国神社への参拝にしても韓国や中国は批判をしますが、アレもむしろ日本のマスコミが焚きつけたようなところがある。そもそも、神道という独自の宗教に対してヨソの国がクチを出すのはどうかという話でしょ? イスラム教に対して「アラーはいかんやろう」といったらエライことになる。それに近い主張をされてしまっているわけでね。日本の国家のために命を失った人たちを、神道という独自の宗教観をもって国家として弔う。これは、ヨソの国からとやかくいわれることではない。

50年も生きてきたなかで「自分をつくってくれたのはこの所属してきた社会そのものであり、日本という国家なんだ」という思いがかなり強くなっていった。加えて、つくづく、人間独りでは生きていけないよな、いろんな人のおかげで今日があるんだな、とよく思うようにもなった。

半世紀という区切りもある50歳を迎えたときに、初めて自分の人生を振り返った。それなりに楽しくおかしく、充実した人生やったとは思うのですが、あらためて、自分は何かコレといえるものを命懸けでやっただろうか、と問いかけたら「……うーん」となった。じゃあ、人生50年で一度目の人生は終わったと考えてみて、次の人生では、何かその命懸けになれるものに向かう、違う生き方をしてみようかな、と。それで小説を書き出しました。

(出光佐三について)書いている最中は、とにかくこの男を、一人でも多くの人たちに知ってもらいたいと思っていた。ただ、そんな思いでこの男や周囲の姿を書いているうちに気づいたのは、彼らのように死に物狂いで働いた人たちが当時の日本に溢れていたからこそ、戦後の日本は復興を成し得たのだろうということでした。その戦争直後のつらさに比べたら、いまの日本の厳しい状況を前にしても、諦めるなんてことはありえない、と思った。終戦のわずか2日後に社員の前で「日本は立ち直る。世界は再び驚倒する」「わが社には最大の資産である人がまだ残っとるじゃないか」という。人をコストとのみ考えがちな、いまの経営者にも読んでもらいたいんですよ。

テレビは最初から面白くないと視聴率が取れないんです。そして、途中に面白くないシーンを入れてもまた視聴率はとれない。とにかく全部面白いシーンをいれてあげないといけないんです。「永遠の0」を書くときも、それは意識しました。いきなり面白い。読者を最初の1ページからつかまえる。つかまえたら絶対離さない。余計なシーンは一切出さない。それは今も一緒です。

僕は、父や叔父から戦争の話を聞いています。私は戦争が終わってちょうど10年目に生まれた子供だから、それが普通でした(百田氏は1956年生まれ)。でも、父も叔父も、自分たちの孫には戦争の話をしていないんです。父の世代が消えてしまうと、語り継ぐ人がいなくなってしまう。彼らから話を聞いてきた世代として、その話を受け渡さないといけないと思ったのです。

特攻隊員は想像を絶する恐怖と苦悩を味わい、前夜は眠れぬ夜を過ごした。しかし多くの隊員たちは出撃の朝は笑顔を見せた。それは自分たちを見送る者たちへのためだと思う。私はそんな彼らを尊敬すると書いたが、「百田は笑顔で行ったと書く狂気の作家だ」と非難する人たちがいる。

私は世界の国の中で日本人ほど礼節をわきまえ、また他人に対して慈愛の精神を持った民族はないと思っています。人は本当に苦しいときに本性が出ます。阪神淡路島大震災と東日本大震災で日本人が見せた他者を思いやる行動は世界の人々を驚かせ感動させました。一朝一夕に作られた精神ではありません。

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