正義は多数、悪は少数と決まってる。善悪の名言

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(1)

お前らは豚や牛の命乞いに耳を貸した事あるか?

(2)

善も悪も決められるのは自分だけ

(3)

最大の善は、最大の悪になりうる。多少の悪を知ること

(4)

人間を善悪で区分けするなど愚かなことだ。人間は魅力的か退屈かのどちらかである

(5)

いかなる道によって自由に到達すべきか、と汝は問う。そのためには善悪を、衆俗の示すところによってではなく、自分自身で区別することを覚えなければならない

(6)

善悪の区別は集団生活の約束から生まれたもので、「人間」そのものをつきつめて考えれば、そういう区別は存在しない

(7)

人間は善悪両方を持っています。それを、自分の勉強や修行によって、善悪の判断をし、悪の誘惑に負けずに善行(ぜんこう)を積んでいくことが人間の道なのです

(8)

悪よ、汝わが善たれ。汝によりせめて分かれし帝国を天の王とともに維持し、汝により過半を治めよう

(9)

悪人は自己の欠点を弁解するが、善人は自己の欠点をそっとしておく

(10)

ある局面になるとものすごく愚かなことができるというのが人間なのです。善悪二つのモノサシしか持っていないと、人間は非常に生きづらさを感じるものなのです

(11)

ひそかにわが身の目付に頼みおき、時々異見を承わり、わが身の善悪を聞きて、万事に心を付けること、将たる者、第一の要務なり

(12)

善悪を作るもの、幸不幸を作るもの、貧富を作るもの、それは人の心である

(13)

子供にとって最初の教師は母親である。善悪いずれかの品性を形造る機会はまず母親に与えられている

(14)

善悪は人にあらず、自らの心にあり

(15)

若い時は、人々の意見で善悪の判断をするのが普通である。年をとると、自分の何の物差しもないのに興味本位で振る舞い、その上、何の徳があるわけでもないのに恥ずかしさを感じない

(16)

最高の善は快楽、最大の悪は苦痛なり

(17)

悪人とは、いかに善良な過去を持っていても、まさに堕落の道をたどろうとし、善良さの度合いが減退する人間である。善人とは、いかに道徳的に価値の少ない過去を持っていようと、さらに善に向って進んでいる人間である

(18)

悪は河における岸のごときものである。岸は流れを堰くが、それは流れを推し進めるよすがとなる。この世の悪は、人間が水の流れるごとく善に向かわしめるために存在する

(19)

悪は必要である。もし悪が存在しなければ、善もまた存在しないことになる。悪こそは善の唯一の存在理由なのである

(20)

悪と善は神の右手と左手である

(21)

善人は不善人の師なり、不善人は善人の資なり

(22)

善人においては現世にても死後にても悪は発生せず

(23)

善人とは、自己の罪過を記憶し、自己の善事・善行を忘却するひとのことをいい、悪人とは、これとは反対に、自己の善事善行を記憶し、罪過を忘却する人のことなり

(24)

種を蒔けば刈り取らねばならない。人をなぐれば苦しまねばならない。人に善をなせば君も善をなされるであろう

(25)

私は素直な悪よりも頑固な善を好む

(26)

私は不正を行って、罪とならないよりも、善をなし、感謝されないほうがよい

(27)

私はなにか善を行おうとする希望を持ち、そこに悦びを感ずることもできる。だが同時に、悪を行いたいとも思い、そこにも悦びを覚えることができる

(28)

真に善きものはすべて廉価であり、有害なものはすべて高価である

(29)

善をなすには努力が必要である。しかし、悪を抑制するには、さらにいっそうの努力が必要である

(30)

善にはつねに悪が混じっている。極端な善は悪となる。極端な悪はなんらの善にもならない

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