「みんなが」ってのが大嫌い。爆笑問題 太田光の言葉

スポンサーリンク

(1)

「みんなが」ってのが大嫌い。

『みんな』ってどこにいるんだよ。

連れて来いよ、その『みんな』を。

俺とお前の話で、

なんで『みんな』が関係してくんだよって。

「みんな」がどう言ってたかって

関係ないでしょう?

(2)

自分のカラーを決めてしまうと、

そこから動けなくなるのが怖いよね。

これは得意じゃないんだけど

ていう仕事もやってみる価値はあると思う。

(3)

主観ですからね。お笑いってのは。

他の人がどう思うかは、

結局やってみるまで

わかるわけがないんです。

(4)

自分はあんまり面白くないけど、

これは女子高生には

ウケるじゃないかって作ったネタは、

やっぱり失敗することも多い。

なにより自分が

楽しくできないのはマイナスですよね。

(5)

オレは、仕事をするときに

まず自分が楽しみたいって

気持ちがあるかもしれない。

最終的にはお笑いは、

誰かを笑わせるっていうより、

自分が笑えるかどうかしか

基準がないわけ。

(6)

自分の嫌いな短所を許すことが、

自分を好きになることだ。

(7)

人々の価値観を

全部ひっくり返すようなものをつくりたい。

そんな思いがいつもどこかにあるんです。

(8)

僕は何事も、

面白いか面白くないかで決めるんです。

だから、

リスクの多い選択も散々してきて、

その結果、

誰が一番迷惑したかっていうと、

うちのカミさんなんです(笑)

だから、絶対にお勧めできませんが。

(9)

ピカソは絵を描く技術が

どんどん高まっていくんだけれど、

あるところでその技術が

かえって邪魔になって、

「こんなもんじゃねえ」と

一気に捨てた気がするんです。

自分もそうした

大転換をしないと駄目なんじゃないか。

そうしないと、

本当の自分の表現に

到達できないんじゃないか。

そう思ってはいるんですが。

スポンサーリンク

(10)

僕はまだ

「これまでの漫才をもう少し洗練させる」

といった程度のものしかつくれていないんですが、

本当は誰もやったことがないものを生み出したい。

(11)

いまって、何をつくるにしても、

誰かの影響を受けちゃっていると思うんです。

そこからいかに解き放たれるかというのが、

すごく大事な問題です。

(12)

僕は面白い時代に生まれたと思いますよ。

面白がっちゃいけないけれど、

混沌としているじゃないですか、すべてが。

一歩間違えば破滅だけど、

逆に何かのちょっとしたきっかけで

いい方向に行く可能性もある。

そうすれば、まったく新しい

価値観を持った理想的な社会になるかもしれない。

現代って、そんなどっちに転ぶか

まったくわからない状況にあると思うんです。

(13)

司馬遼太郎の小説を読むと、

明治維新のころって面白かっただろうな、

と思うんです。ただ同時に、

この時代に負けたくないっていう気持ちもあって。

僕は、これまでのどの時代よりも

面白い時代に生きたいし、

未来の人から

「太田の生きていた時代は

面白かっただろうね」と言われたい。

そんな過去や未来に対する対抗心があります。

(14)

何が一番人類の価値観を変えたかと考えると、

書物でいえば

聖書以上のベストセラーってないですもんね。

完全に思い上がりなんですけど、

何かを表現する以上は

聖書より売れる本をつくりたい(笑)

そんなこと、

とても無理なのはわかっているんだけど、

目標はそこに置かないとつまらないんですよ。

(15)

「芸人が大真面目に

こんなこと語ってどうするの?」

という思いは常にあります。

政治的な発言をストレートにするって、

芸人としてはかなり格好悪いことですから。

本当はそういったものをきちんと笑い話にしたい。

でも、想像力が足りないから、

それができていない。

そんな自分が嫌なんです。

ただ最近は、

「あいつは芸人失格だ」

などと言われるようになってきていて、

そうなると逆に「もっと言ってやろう」

という気持ちも出てくる(笑)

性格がひねくれているんです。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存