人生の焼かれるような不幸も、過ぎ去れば「宝」であることを、私は知っている。哲学者 中島義道の言葉

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(1)

欠点こそ

かけがえのない「その人」をつくっている。

欠点の反対側に長所があるのではなく、

欠点とはそのまま長所になりうるものです。

欠点を欠点だと知っていること、

欠点に悩むことはすばらしいことなのです。

(2)

「いい子」などという

鎧を脱ぎ捨ててしまおう。

それは、

その非常な重量できみを苦しませ、

きみから生きていく活力を奪う

張本人であることを認めよう。

シャツ一枚になって、

思いきり深呼吸してみよう。

どうだ。

気持ちがいいのではないかなあ。

それが、きみなんだ。

(3)

自分も相手も

傷つかない何らかの解決を見いだす、

そんなきれいごとはなかなかないのです。

相手も自分も傷ついて、

どうにか難局から這い出すほかはない。

(4)

多くの場合、

「優しさ」を強調する人は

その絶対基準を自分のうちにもち、

それで他人を断罪するという

暴力を平気で行いがちである。

(5)

私が大嫌いなのは、

言葉のうえでは

私の訴えに賛成それも大賛成であり、

私の戦う姿勢も尊敬すると語りながら

自分は何もしない

膨大な数の人の群れである。

(6)

わずかでも

「自分は正しい」と思うことをやめること。

むしろ

「自分は正しくない」と

無理にでも思ってみること。

これは、きみの精神を鍛えるうえで

たいそう重要なことだ。

(7)

悪にまつわる私の唯一の関心は、

善人であることを自認している人の

心に住まう悪である。

みずからを善人と確信して、

悪人を裁く人、

悪人を哀れむ人の悪である。

(8)

「みんな」とは

「まとも」と同義だということに

何の疑問も感じない人だけが

「みんなの喜ぶ顔がみたい」と言って

平然としているのです。

(9)

「優しい」人は

他人の加害性に関しては恐ろしく敏感である。

だが、こういうかたちで

たえず他人を裁き

他人に暴力を振るっているという

自分の加害性に関しては、

都合よく鈍感である。

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(10)

パスカルの言うように、

すべてが「気晴らし」なのだ。

サルトルの言うように、

すべてが「無益」なのだ。

こう確信して、酒をぐいと飲み干すと、

不思議に生きる勇気が湧いてくるのである。

(11)

私が一番嫌いなのは

他人に期待して生きている人間です。

(12)

誠実な気持ちだけが、

真に他人の心を動かす力を持っている。

誠実に他人に向きあうと、

意外な突破口が見つかることがあるものだよ。

(13)

あのとき私をだましたあの人も、

あのとき私を愚弄したあの人も、

あのとき私を軽蔑したあの人も、

あのとき私を罵倒したあの人も、

あのとき私を苦しめたあの人も、

あのとき私を無視したあの人も、

あのとき私を滅ぼそうとしたあの人も……

私の人生をさまざまに彩る宝石の輝きである。

(14)

他人をある程度傷つけ、悲しませ、

苦しませることなしには、

その人と真摯に

つき合うことはできないと思っている。

ということは、

自分自身も他人から相当程度苦しめられても、

傷つけられても、

悲しまされてもしかたないということだ。

(15)

人生の焼かれるような不幸も、

過ぎ去れば「宝」であることを、

私は知っている。

中島義道(なかじま よしみち、1946年7月9日 – )、日本の哲学者、作家。元電気通信大学教授。専攻はドイツ哲学、時間論、自我論。イマヌエル・カントが専門。


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