人の光を籍りて我が光を増さんと欲するなかれ。森鴎外の言葉

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(1)

 

初対面の言語動作は

人の運命を決すること多し。

 

 

(2)

 

人の光を藉りて

我が光を増さんと

欲するなかれ。

 

 

(3)

 

罵言は

世間のために風俗を矯る利あるべく、

一身のために信用を長ずる益あるべし。

 

 

(4)

 

僕は生まれながらの傍観者である。

どんな感興のわき上がった時も、

僕はそのうずまきに身を投じて、

心から楽しんだことがない。

僕は

人生の活劇の舞台にいたことはあっても、

役らしい役をしたことがない。

 

 

(5)

 

人の長を以て

我が長を継がんと

欲するなかれ。

 

 

(6)

 

女はどんな正直な女でも、

その時心に持っている事を隠して

外(ほか)の事を言うのを、

男ほど苦にはしない。

 

 

(7)

 

学校というものを離れて

職業にありつくと、

その職業を成し遂げてしまおうとする。

その先には生活が

あるとおもうのである。

そして、

その先には生活はないのである。

 

 

(8)

 

小学校の門を

くぐってからというものは、

一生懸命にこの学校時代を

駆け抜けようとする。

その先には

生活があると思うのである。

 

 

(9)

 

世間の人は虎を、

性欲の虎を放し飼いにして、

どうかすると、

その背に乗って逃亡の谷に落ちる。

 

 

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(10)

 

少壮時代に

心の田地に卸された種子は、

容易に根を断つことの

出来ないものである。

 

 

(11)

 

心理学が思量から意思へ、

意思から衝動へ、

衝動からそれ以下への心的作用へと、

次第に深く穿っていく。

そして、

それが倫理を変化させる。

 

 

(12)

 

恋愛もなければ、係恋もない。

いったいこんな閲歴が生活であろうか。

どうもそうは思われない。

真の充実した生活では確かにない。

 

 

(13)

 

人間は

遅疑しながら何かするときは、

その行為の動機を

有り合わせの物に帰するものと見える。

 

 

(14)

 

酒を傾けて

酵母を啜(すす)るに至るべからず。

 

 

(15)

 

一体、

日本人は生きるということを

知っているのだろうか?

 

森鷗外(もり おうがい、1862年2月17日〈文久2年1月19日〉 – 1922年〈大正11年〉7月9日)、日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、教育者、陸軍軍医(軍医総監=陸軍中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・功三級、医学博士、文学博士。本名は森 林太郎(もり りんたろう)。東京大学医学部卒業。大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツでも軍医として4年過ごした。帰国後、訳詩編「於母影」、小説「舞姫」、翻訳「即興詩人」を発表する一方、同人たちと文芸雑誌『しがらみ草紙』を創刊して文筆活動に入った。その後、日清戦争出征や小倉転勤などにより創作活動から一時期遠ざかったものの、『スバル』創刊後に「ヰタ・セクスアリス」「雁」などを発表。乃木希典の殉死に影響されて「興津弥五右衛門の遺書」を発表後、「阿部一族」「高瀬舟」など歴史小説や史伝「澁江抽斎」なども執筆した。陸軍を退いた後は宮内省に転じ、帝室博物館(現在の東京国立博物館・奈良国立博物館・京都国立博物館等)総長や図書頭を死去まで務めたほか、帝国美術院(現:日本芸術院)初代院長なども歴任した。

 


 

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