1)一日が一生と思って生きる。
今日失敗したかって、へなへなすることない、
落ち込むこともない。
明日はまた新しい人生が生まれてくるじゃない。
今が一番大切です。
今自分がやってることを一生懸命、
忠実にやることが一番いいんじゃないのかな。
2)身の丈に合ったことを毎日くるくる繰り返す。
「二度の千日回峰行を経てどんな変化がありましたか」
とよく聞かれるけど、変わった事は何にもないんだよ。
自分の与えられた人生を大事に、
こつこつと繰り返すことが大事なのじゃないかな。
人間から見た偉いとかすごいとかなんて、
仏さんから見れば何にも変わらないから。
3)仏さんは人生を見通している。
仏さんは「道は開いてやるけれど、
後は自分でもって考えなさい。」って言うんだな。
簡単には人生の答えはくれない。
だから、座礁しちゃ這い上がって、座礁しちゃ這い上がって、
ずっーとあきらめないで、のっこのっこ、
のっこのっこやってるわけですな。
4)ありのままの自分としかっと向き合い続ける。
「生き仏」なんていわれると、
ぼくは気をつけないといけないなと思う。
周りの自分への対応が変わると、
自分が偉くなったような気がしちゃう。
そうなるとおごりが出てくるし、
自分の心を磨かなくなる。
現実に今とらわれている世界だけでもって
勝負しようとしてしまうから表面ばかりが気になるが、
人生は見えている世界だけではないからね。
大事なのは、今の自分の姿を自然にありのままにとらえて、
命の続く限り、本当の自分の人生を生きることなんだな。
5)人からすごいと思われなくたっていいんだよ。
坊さんは坊さんらしくする。
いくらどんな行を何回やっても、
何もつかむところがなかったら何の意味もないよな。
それだったら、たった一日でもいい。
深いところを味わいながら、
丁寧に歩いてみる方がいいかもしれない。
人が忘れていたことや、大切なことを
ちゃんと教えてくれるから。
人からすごいと思われなくたっていいんだよ。
6)「一日」を中心に生きる。
「一日が一生」と考える。
「一日」を中心にやっていくと、
今日一日自分のペースで全力を尽くして
明日を迎えようと思える。
一日一善だっていい。
一日、一日と思って生きることが大事なのと違うかな。
何にも変わらないようにみえても
自分自身はいつも新しくなっている。
毎日毎日生まれ変わっているんだよ。
一日だって同じ日はないしな。
7)今日のできごとは今日でおしまい。
「一日が一生」という気構えで生きていくと、
あんまりつまらないことにこだわらなくなるよ。
今日の自分は今日の自分、
明日の自分は明日の自分、と考えれば、
今日よくないことがあっても引きずらなくてすむ。
「今日のできごとは今日でおしまい。」
8)生き残ったのは、生き「残された」ということ。
生き残るんじゃなくて、
生き「残される」ものなのかもしれないな。
なにかお前さんはざんげしろ、
もっと世のためになれって、
そういうことでもって仏さんは、
この世に残しておいているんだよ。
命が残されているっていうことは、今何才であろうと、
まだまだしなくちゃなんないことがあるのとちがうかな。
引用元:朝日新書「一日一生」(酒井雄哉著、朝日新聞出版)