妻が3月に亡くなった。
世帯をもって62年、
かけがえのないパートナーであった。
ともに暮らした老人ホームの収納棚に残された
衣服の整理を始めた。つらいな。
「断捨離」という言葉が世に喧伝(けんでん)されてから
ずいぶん日がたつが、いまだに衰えを知らない。
なんのかんのと言っても、
そう簡単に捨てられないからであろう。
寂しさを吹っ切らねばなるまい。
妻の肌を守り、身を飾った衣装たちに
「ありがとう」と、
一つ一つ頭を下げながら袋に移していった。
「感謝離」という表現が頭をよぎった。
うん、こいつはいい。
それにしても、よく着たもんだ。
すっかり貫禄がついて古びている。
ほら、
このパジャマなんか襟が擦り切れているじゃないか。
捨てるのは切ないが、
私が天国に行ったら一緒に新しいのを買いに行こう。
新陳代謝だ。
ああ、これは「代謝離」だ。
気持ちが晴れた。
棚から袋へ運ぶ手の動きがリズミカルになった。
62年のパートナーだった、
と考えたのは誤りだった。
2人の間に終止符は存在しない。
これからもずっと夫婦だ。
どこまでも。
いずれ会える日が来る。
会えば、まず出かけよう、
ショッピングに。