勉強というものは

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勉強というものは、いいものだ。

代数や幾何の勉強が、

学校を卒業してしまえば、

もう何の役にも立たないものだと

思っている人もあるようだが、

大間違いだ。

植物でも、動物でも、

物理でも化学でも、

時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。

日常の生活に

直接役に立たないような勉強こそ、

将来、君たちの人格を完成させるのだ。

何も自分の知識を誇る必要はない。

勉強して、それから、

けろりと忘れてもいいんだ。

覚えるということが大事なのではなくて、

大事なのは、

カルチベート(cultivate)されるということなんだ。

カルチュアというのは、

公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、

心を広く持つという事なんだ。

つまり、

愛するという事を知る事だ。

学生時代に不勉強だった人は、

社会に出てからも、

かならずむごいエゴイストだ。

学問なんて、覚えると同時に

忘れてしまってもいいものなんだ。

けれども、

全部忘れてしまっても、

その勉強の訓練の底に

一つかみの砂金が残っているものだ。

これだ。

これが貴いのだ。

勉強しなければいかん。

そうして、その学問を、

生活に無理に直接に

役立てようとあせってはいかん。

ゆったりと、

真にカルチベートされた人間になれ!

― 『正義と微笑』太宰治

太宰治(だざい おさむ、1909年〈明治42年〉6月19日 – 1948年〈昭和23年〉6月13日)、日本の小説家。左翼活動での挫折後、自殺未遂や薬物中毒を繰り返しながらも、第二次世界大戦前から戦後にかけて作品を次々に発表。主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『人間失格』がある。

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著:太宰治, 編集:古典名作文庫編集部
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