人になにかを伝えたいなら、ウソをついちゃいけない。志村けんが残した言葉

スポンサーリンク

(1)

お笑いに限らず、

常識をバカにする奴に、

常識を超えたことは絶対にできない。

(2)

非常識なことをするためには、

まず常識を知らなきゃいけないんだよ。

(3)

だれもが思いつきそうなことを、

人より鼻の差ぐらい先を見越して、

現実化すればいいんだ。

「鼻の差ぐらい」がポイント。

それ以上先でも、それ以下でもダメ。

(4)

最初から全力でいかない奴は、

その時点で先がない。

(5)

古今東西、いつの時代も、

自分が楽しいと思わない仕事から

よい結果は生まれない。

(6)

ムダなことでもなんでも知ってた方がいい。

知らないと損をすることはあっても、

知ってて損することはないから。

(7)

何もしてない奴が

「じゃあ、お前ちょっとやってみな」

って言われることはあり得ない。

普段から何かをやり続けているから、

誰かの目にとまって声をかけられるんだ。

(8)

オレはいつでも

「個性は変人、常識は凡人」

でいたいと思っている。

スポンサーリンク

(9)

1回きりしかない人生なんだから、

自分の好きなように、

自分に正直に生きようよ。

(10)

気取らないこと。

とにかく飾らない。

自分を大きく見せようとする段階で人は嘘をつくし、

それはすぐに見破られるものですよ

(11)

人になにかを伝えたいなら

ウソをついちゃいけない。

(12)

自分の一生なんだから、

自分が好きなことを思い切りやればいいと思う。

売れるか売れないか、

先のことは誰にもわからないけど、

自分が納得いくまでやれば、

それでいいんじゃないか。

(13)

みんなと同じだったら、

一番楽だろう。不安もなくなる。

でも、その代わり個性もないってことになる。

あいつは変わってる、と言われるのは光栄なことだ。

(14)

なんでもそうだけど、

ずっと続けているとうまくなる。

うまくなると、またおもしろくなってきて、

さらに一生懸命やろうという気になってくる。

そうやって、一人前になっていくんだと思う。

(15)

何でもそうだけど、

「おれ、頑張りました」ってところが

見えてしまうようではまずい。

志村けん(しむら けん、1950年〈昭和25年〉2月20日 – 2020年〈令和2年〉3月29日)、日本のコメディアン、お笑いタレント、司会者。東村山市名誉市民。ザ・ドリフターズのメンバー。ザ・ドリフターズのメンバーとして活躍する傍ら、亡くなるまで自らが持つ番組でコントを披露し続けた。生前時は渡辺プロダクションを経てイザワオフィスに移籍し、同じくザ・ドリフターズのメンバーで、2004年(平成16年)に死去したいかりや長介と同様に没後も籍を残している。1973年までの旧芸名の表記は「志村 健」。ドリフでの初期には「志村 ケン」名義での表記もあった。本名は志村 康徳(しむら やすのり)で、構成作家としては本名名義でクレジットされた。


スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存

コメント

  1. 丸山順子 情熱の火星人マーズ より:

    ✨志村けんさんって ✨本当に凄い人だったんですね。
    ファミリー ヒストリーをテレビで見ましたが
    厳格で真面目なお父さんに
    家族はちょっと 緊張していてましたが
    それを補う ひょうきんなお母さんがいて よかった。
    厳格なお父さんを✨大笑いさせるコメディアンが
    すごいと思ったのが✨この道だったと思うのです。
    本当はお父さんもお笑いが好きだったんだろう。
    そんなお父さんがバイクの事故の後遺症で
    変わっていく姿は一番切なかったと思います。
    この活躍をお父さんに見せられない分
    お母さんには96歳まで見せてあげられた。
    素晴らしい暖かい家族がいたことが
    志村けんさんの ✨✨人生よかったです。 ✨✨
    けんさんの芸名の名前もお父さんから とってるんですものね。
    全ていろいろ苦労した経験してる 言葉だから心に響きますね。
      皆さまに 愛されていた志村けんさん
         ✨✨天国で安らかに〜〜✨✨✨✨