20歳のころ、
三浦綾子さんの小説を夢中で読みました。
「続氷点」に
「一生を終えてのちに残るのは、
われわれが集めたものではなくて、
われわれが与えたものである」
という言葉が出てきます。
当時はよく理解していませんでした。
お金がたまれば車を買い、家を買い、
果てしないコレクション魂が
人間の悲しい性ではないかと。
20代後半で父が、
数年後に母が他界しました。
苦労を重ねた両親の人生は何だったのか。
かわいそうに思えてきました
いずれ身内や友人もこの世から消え、
両親が人々の記憶からも消えていくことが。
30代後半になり、
あの言葉を思い出しました。
手元に「集めた」ものは、
自らの死とともに消えてなくなるでしょう。
でも、
「与えた」ものはそうではないと
考えるようになりました。
両親から受け取った有形無形の施しを、
自らの肥やしにするだけでなく、
たすきリレーのように次の世代に伝えていく。
これこそ、
自分が生を受けた意味なのかもしれない。
自分のしがない人生は、
何百万年と続く人類の営みのほんの一瞬です。
残したいものは何なのか。
考えながら子どもと接する日々です。