(1)
学校に行くのに足が重いときや、
日本に帰りたいって思うときは、
自分に問いかけるんですよ。
「ここに自分で来たいと思って来てるよね?」って。
自分で選んで来たよねって。
(2)
いつでも前向きでいられるわけではないですけど。
本番前とか、
何か作品に取り組み始めたときというのは
非常にネガティヴになります。
でも、現場に入ったときに、
ネガティヴな指揮者って嫌でしょう?(笑)
だから、
現場に入るまでには自分の中で覚悟を決める。
(3)
「レパートリー」という言葉が
あまり好きではなくて。
「これなら相当振ってるから大丈夫ですよ」
っていう言い方も好きじゃない。
チャンスを得るときには
「やります」と言うことがあったとしても、
それは自分が何回も振ってるから
できるんだって考えはまったくなくて。
ゼロから組み直す
ということが大事だと思っています。
(4)
凝り固まると
新しい視点というのは生まれてこないので。
もう一回、
自分でニュートラルに
持っていくという作業は必要ですね。
(5)
色んなコンサートを観に行って、
「全ての音を出している人だな」って感じたときに、
素晴らしい仕事だなとわかりました。
(6)
絵もそうですが、
ダヴィンチとかルーベンスの絵は
筋肉や骨の動きが見えるでしょ?
そういうことを学びたかったんです。
表面だけではなく、
骨がどういう関節の動きをしているのか、
そういう勉強の仕方をしたかった。
――大学で作曲科を選んだことについて
(7)
私は三歳のときに始めてクラシックバレエを見て
感動したことが今につながっているんですね。
今のクラシックコンサートのスタイルでは
子供は入れませんから、
もし当時もそうだったから、
私の人生はどうなっていたか。
(8)
恩師が
「たとえ遠回りでも
必要だと思うことは飛ばしてはいけない。
後に必ず使えるものが出てくるから」と言っていた。
その言葉を胸に地道にキャリアを積み重ねてきた。
30代はそんな時期でしたね。
(9)
本当に好きなことならば、
どんなにつらくても乗り越えられるし、
何かを犠牲にしてでも追求したい。
そういうストイックさは、
実は誰だって持ち合わせているはずです。
(10)
理想はもっと先にある。
そう思える限り、
音楽家としての旅を続けたい。
(11)
靴下など外からは分からない所に
赤やオレンジなど、
明るめの色のものを身に着けるようにしています。
自分に気合を入れ、
テンションを上げるためです。
(12)
例えば力強い一撃のような音が欲しい時に
『力強い一撃で叩いてください』
と言葉で伝えるより、
その人の目を見て、
自分の最高レベルの強い思いを込めて拳を握り、
ガン、と表情で表す。
一発で通じます。
だからエネルギーがいるんですよ。
(13)
例えば『パッション』というと
日本人は『情熱』で終わりなんですよ。
でも聖書を思い出すと、
ヨハネやマタイのパッション、
つまり『受難』の意味もある。
情熱があるから受難が降りかかるのか、
受難があるから情熱が生まれるのか。
だから楽譜にパッションという言葉が出てきたら
『ここでは受難があったから情熱、
パッションがあると私は思う』と
ちょっと説明を入れる。
(14)
日本人はもっと海外に行くべきだと思う。
世界は今、日清戦争より前の時代の地図の動き方、
スピードになってきていると感じています。
大チャンスですよ。若い人には特に。
(15)
もう一回25歳に戻してあげるから
留学からやれと言われても無理。
やりたくない。しんどい(笑)
その代わり精いっぱい頑張ってきた。
それだけです。