不満や愚痴は、未練がましく漏らさない。哲学者 安岡正篤の言葉

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(1)

 

いかにすればいつまでも

進歩向上していくことができるか。

第一に絶えず精神を仕事に

打ち込んでいくということです。

純一無雑の工夫をする。

純一無雑などと申しますと古典的でありますが、

近代的にいうと、

全力を挙げて仕事に打ち込んでいく、

ということです。

 

 

(2)

 

不老長生とは

いたずらに年をとることではない。

いつまでも生きる限り、

ぼけないで、人生に興味を持ち、

情熱を抱き続けて勉強することである。

 

 

(3)

 

ずるいことをやったり、

人を押しのけたりして、

地位や財産をつくるのも

人間の能力、知能のひとつであります。

それを使っていろいろのことができる。

できるけれども、

そんなことができても、

これは人間としては

少しも偉いことではない。

社会的には偉いかも知れぬが、

人間としては

むしろ恥ずべきことであります。

 

 

(4)

 

何を為すか、

何をしたかということと、

彼はどういう人間か、いかにあるか、

ということとは別である。

 

 

(5)

 

本当の学問というものは、

血となって身体中を循環し、

人体・人格をつくる。

したがって、

それを怠れば自ら面相・言語も

卑しくなってくる。

 

 

(6)

 

たえず熱中する問題を持つこと、

すなわち感激の対象を持つことだ。

 

 

(7)

 

人生は

退屈することが一番いけない。

 

 

(8)

 

たえず問題を持つ者が、

精神的に勝利を占める。

 

 

(9)

 

ありがたいとか、感謝とよくいうが、

自分の生活の中でまず

不満や愚痴は未練がましく

漏らさない心掛けが肝要だ。

 

 

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(10)

 

人間の本当の正しさは、

ちょっとした日常の

挨拶や振る舞いに表れ、

何でもない行動に、

案外人間内容やその背景を

知ることができるものです。

 

 

(11)

 

大層偉そうな

大げさなことを言う者は

当てになりません。

こんな人ほど、

家の中や友達との付き合いになると、

とんでもない愚劣なことを

平気でやるものであります。

 

 

(12)

 

ついうっかり言った言葉、

ちょっとやった行為が

その人の人間を決定します。

 

 

(13)

 

我々の生活が自堕落になったとき、

心から馬鹿と叱ってくれる

畏敬する人を持つ者は幸いだ。

 

 

(14)

 

日常の出来事に一喜一憂せず、

現在の仕事を

自分の生涯の仕事として打ち込むこと、

そして、

それを信念にまで高めなければ

自己の確立はあり得ない。

 

 

(15)

 

人間が浅はかで無力であると、

いわゆる「宿命」になる。

人間が本当に磨かれてくると「運命」になる。

すなわち、

自分で自分の「命」を

創造することができるようになる。

 

安岡正篤(やすおか まさひろ、1898年〈明治31年〉2月13日 – 1983年〈昭和58年〉12月13日)、日本の易学者、哲学者、思想家。金鶏学院の開学、国維会、師友会の創立など、日本主義の立場から保守派の長老として戦前戦後に亘って活躍した。

 



 

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