四国八十八ヶ所

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内縁の夫が肺ガンにかかり亡くなった。

生きる糧を完全に失い、毎日死ぬ事を考えた。

手首を切ってみたりしたが、どうしても死ねない。

岩手県に住んでいたが、どうやったら死ねるのかわからず

死ぬ方法を探すため高野山に行った。

死ぬ方法が分からず、高野山の伽藍にある大日如来さんの前で

泣き続けた。一時間以上号泣していたと思う。

そうしたら、チケットもぎりの年配の女性が

「どうされましたか?」と話しかけてきた。

「死にたいけど死ねない」と言うと、

「ここには死にたくても死ねない人も、生きたくても

生きられない人も来る。でも、ここ(大塔)は生きる

ための場所なのよ」と話してくれた。

さらに、「2ヶ月くらい生活するお金と時間の余裕はあるか」と

聞かれ、死ぬつもりだったので時間はあるし、

多少の蓄えがあったので、はいと答えた。

そうすると、 死んだつもりになって『四国八十八ヶ所』を

歩いてまわってみたらいいと言われた。

存在は知っていたが、どうやって廻っていいかわからなかったので

「どうしていいかわからない」と答えると、

「本屋さんに八十八ヶ所のガイドブックを売っているので、

それを買って、一番札所に電話して、順にまわりなさい」

「全部揃えなくてもいいので、白衣と杖だけ買っていきなさい」

「困った時は声をかけなさい」

と教えてくれた。

誰かに背中を押してもらいたかったのかもしれない。

四国に行き、一番札所から歩いてみた。不安を抱えながら。

廻っていると、途中では死ねなかった。

一つ廻ると次、一つ廻ると次、と、なかなか終わらない。

ずっと歩いているとお腹がすいてくる。

でも不思議と、困っているときに限って誰かが現れ、

助けてくれるのだ。おにぎりをくれた人もいた。

いままでごはんが食べれなかったのに、

のりとみそ汁とおにぎりだけが、おいしくて涙が出た。

(注 : 四国には『お接待』という概念があり、

お遍路さん(白衣に杖の人)にはお接待しないと

いけないという考え方がある。)

すごく親切にしてくれたうどん屋さんもあった。

箸袋を大学ノートの日記に貼った。

袋を渡され、何故か210円入っていたこともあった。

大学ノートの日記は、数冊になっていった。

生まれて今までこんなに親切にされたことはなかった。

本当に嬉しかった。

88ヶ所をすべて廻り終え、最終の日、再度高野山に登った。

四国八十八ヶ所のことを教えてくれたチケットもぎりの

女性にもハガキを出し、

連絡を取り合い再会することになった。

あいさつをしたが、ぽかーんとしている。

数秒たって、相手が声を上げた。

「あなたが、2ヶ月前の?」と言われた。

私が大塔の中で号泣していたときとは、

全く別人のような顔になっているそうだ。

「2ヶ月前の写真を撮っておいたらよかった。

今は、ほんとうにすばらしい、別人のような笑顔をしてる。」

と言ってくれた。

そのとき私は部屋に引きこもり、毎日死ぬ事を

考えていた。高野山に行った頃には顔はパンパンに腫れ上がり

紫色の顔をしていたそうだが、今は(2ヶ月歩いたせいもあり)

ほっそりとし、顔も小麦色に焼け、生気溢れる笑顔に

なっているそうだ。

ほんとうに、新しい生命をいただいた気がした。

「あなた、これからどうするの」

と聞かれた。

「もともと死ぬつもりだったので、特に後のことは

考えていなかった」と答えると、

僧坊で台所の手伝いをしてくれる人を捜しているらしいが、

やってみる気はあるか、と聞かれた。

もちろん返事をし、面接を受けた。

そうすると、

「46才?そんな働き盛りの若い人が

来てくれるなんて」と大変喜んでくれた。

それから私は、高野山の僧坊で

台所番として第二の人生を歩み始めた。

あのときの大学ノートの日記は、今も私の宝物だ。

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著:月谷好純, 編集:五反田正宏
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