小人は己を利せんと欲し、君子は民を利せんと欲す。薩摩藩士 西郷隆盛の言葉

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(1)

世のすべての人からけなされても落ち込まず、

すべての人から褒められてもうぬぼれるな。

(2)

己を尽くして人を咎めず。

我が誠の足らざるを常にたずぬるべし。

我を愛する心を以って人を愛せ。

自己を許すが如く人を許せ。

人を責めるが如く自己を責めよ。

(3)

過ちを改めるには、

自分が間違いを犯したと自覚すれば、

それでよい。

そのことをさっぱり思いすてて、

ただちに一歩を踏み出すことが大事である。

(4)

何度も何度もつらく苦しい経験をしてこそ、

人の志は初めて堅くなるのだ。

真の男は玉となって砕けることを本懐とし、

志を曲げて瓦となって生き長らえることを

恥とせよ。

(5)

大きなことでも、

小さなことでも、

道理にかなった正道を踏み、

真心を尽くし、

決して策略を用いてはならない。

(6)

人が踏み行うべき道は、

この天地のおのずからなる道理であるから、

学問の道は敬天愛人(天を敬い人を愛する)を目的とし、

自分の修養には、

つねに己れに克つことを心がけねばならない。

(7)

上に立つ者が下の者に対して

自分の利益を争い求め、

正しい道を忘れるとき、

下の者もみなこれにならい、

人の心は財欲にはしり、

日に日に卑しく、節義廉恥の志を失い、

親子兄弟の間ですら財産を争い

互いに敵視するようになるのだ。

このようになったら

何をもって国を維持することができようか。

(8)

自分は完全な人間ではないと考えるからこそ、

下々の言葉も聞き入れることができる。

自分が完全だと思っているとき、

人からその非を指摘されるとすぐに怒るから、

賢人や君子も、

そのような人を助けようとはしないのである。

(9)

どんなに制度や方法を論議しても、

その適任者がいなければうまく行われない。

その人あって初めてその方法が行われるのだから、

人こそが第一の宝であって、

自らがそういう立派な人物になろうとする

心がけが大事なのだ。

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(10)

人を言いくるめて、

陰でこそこそ事を企てる者は、

たとえそれがうまくいったとしても、

物事を見抜く力のある者から見れば、

醜いことこの上もない。

人に提言するときは、

公平かつ誠実でなければならない。

公平でなければ、

すぐれた人の心をつかむことはできないものだ。

(11)

私は今、人のいうことを聞くに、

いかにもっともらしく論じても、

その行いに精神が行き渡らず、

ただ口先だけのことであるならば、

少しも感心しない。

実際に行動する人を見ると、

実に立派だと感じるのである。

(12)

自分の身を慎み、心を正して、

君子の体を備えていても、

事にあたって、正しく対処できない人は、

木の人形と同じだ。

たとえば、突然数十人の来客があった場合、

どんなにもてなしたいと思っても、

前もって器具や調度の備えをしていなければ、

ただおろおろと心配するだけで、

もてなすことなどできはしない。

(13)

小人は己を利せんと欲し、

君子は民を利せんと欲す。

己を利する者は私、

民を利する者は公なり。

公なる者は栄え、

私なる者は亡ぶ。

(14)

税を軽くして国民生活を豊かにすれば、

国力を養うことになる。

だから国が多くの課題を抱え、

財政の不足で苦しくなったとしても、

税の定まった制度をしっかり守り、

政府や上層階級が損を我慢して、

下層階級の人々を苦しめてはならない。

(15)

思い切ってやりなさい。

責任は私がとる。

西郷隆盛(さいごう たかもり、旧字体: 西鄕 隆盛、1828年1月23日(文政10年12月7日)- 1877年(明治10年)9月24日)、幕末から明治初期の日本の政治家、軍人。薩摩国薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵衛隆盛の長男。諱は元服時に隆永(たかなが)のちに武雄・隆盛(たかもり)と名を改めた。幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助と順次変更。号は南洲(なんしゅう)。西郷隆盛は父と同名であるが、これは王政復古の章典で位階を授けられる際に親友の吉井友実が誤って父・吉兵衛の名で届け出てしまい、それ以後は父の名を名乗ったためである。一時、西郷三助・菊池源吾・大島三右衛門・大島吉之助などの変名も名乗った。


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