この世に生を受けたこと、それ自体が最大のチャンス。レーシングドライバー アイルトン・セナの言葉

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(1)

生きるならば、

完全な、そして

強烈な人生を送りたい。

僕はそういう人間だ。

(2)

この世に生を受けたこと、

それ自体が最大のチャンス。

(3)

自分の考えや信条を持たず、

困難や挫折から目をそらし、

毎日を

いいかげんに生きている人間ほど

哀れなものはない。

(4)

耐えることを学んで欲しい。

耐えると言っても

ただ受け身的に耐えるのではない。

そんなものは愚かな従属だ。

攻撃的な姿勢で耐えるのだ。

(5)

全力で走った時にかく汗とは

実に気持ちの良いものだ。

だから人生で大汗をかいて欲しい。

そうすれば結果はどうあれ

決して後悔はしない。

(6)

挫折や悲しみがあるからこそ

幸せも感じられるのだ。

挫折や苦難なしの人生など

退屈極まりないものではないか。

(7)

ある日ある時、人は限界を感じる

限界に向かって進み

限界に到達するとこれが限界だと感じる。

だが限界に達したとき

自身に何かが起こり

限界の向こう側に行くことがある。

(8)

いくら自分に完璧を求めても

完璧な人間なんてどこにもいない。

結局、自分や他人の失敗から

学んでいくしかないんだ。

(9)

自分が出来ると

心から信じることができれば

必ずやれる。

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(10)

パフォーマンス、コミットメント、

努力、渾身さに関しては

中間なんて存在しない。

やり遂げるか、

やらないかのどっちかだけだ。

(11)

僕はひどいケガをして

病院で唸っているのも好きじゃない。

もし、

事故で命を

失うようなことになるんだったら、

一瞬に終わってほしい。

(12)

全てにおいて

常に向上したい。

(13)

人生の中には、

抵抗しようとしても出来ないものがある。

僕には走るのを止めることは出来なかった。

僕に生命を与えてくれるのは戦いだ。

この挑戦がなければ僕はもう、

存在しないだろう。

(14)

僕は他の誰よりも2秒近く速かったね。

突然、

自分が意識してマシンを

ドライブしていないことに気づいたんだ。

自分の意識的な理解を

超えていたんだと分かってギクッとした。

(15)

神を見た。

アイルトン・セナ・ダ・シルバ(Ayrton Senna da Silva, 1960年3月21日 – 1994年5月1日)、ブラジルのレーシング・ドライバー。F1世界選手権において、1988年・1990年・1991年と、計3度ワールドチャンピオンを獲得した。F1史を代表するドライバーの1人とされ、特に計65度のPP獲得数は、2006年にミハエル・シューマッハに更新されるまで歴代1位だった。アラン・プロスト、ネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセルとは、1980年代から1990年代前半のF1を象徴する存在として、「四強」「ビッグ4」「F1四天王」などと纏めて呼ばれることもある。異名には「Genius(天才)」「マジック・セナ」などがあり、若手時代には「ハリー」の愛称でも呼ばれた。日本では、「音速の貴公子」がよく知られている。セナは多くの投票で「史上最高のF1ドライバー」や「史上最も影響力のあるF1ドライバー」に選出されている。


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