目先にとらわれないで、長い目で見ること。一面にとらわれないで、多面的に見ること。哲学者 安岡正篤の言葉

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(1)

幸福な人生とは、

その人が一生の間に

どれだけ「幸せだ」という感情を

持つ事ができるかによって決まるもの。

(2)

今を幸せと感じられれば、

人生は「いま」の連続体なのだから、

一生が幸せなのである。

(3)

凡と非凡の分かれる所は

能力の問題ではない。

精神であり感激の問題だ。

(4)

なるべく

人の世話役を心がけよ。

そして、報を望むな。

求むるな。

(5)

人間なにが悩みかというと、

自分が自分を知らざることである。

人を論じたり、

世を論じたりすることはやさしいが、

自分を論じ、

自分を知るということは、

実はこれが

一番大事であるにかかわらず、

なかなか難しいことである。

(6)

人間は、先ず自分を責むべきであって、

世の中や時代を責むべきではない。

世の中が悪い、

時代が悪いというのならば、

そういう時世に対して、

一体自分はどれだけ役に立つのか、

それをどう解釈し、

それに対してどういう

信念・情熱を持っているのか、

よく自分を責めるがよい。

(7)

人間の自由は物質的満足の

得られることにあるのではない。

窮しても苦しまず、

憂えても意哀えざるにある。

禍福終始を知って

惑わぬことにある。

(8)

他人が見ても心地よい

表情や態度を心がけて、

感情の乱れを表に出してはいけない。

(9)

細心の注意を払い、

実行する大胆さを持て。

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(10)

人生は

心がけと努力次第である。

(11)

自己の内面に

満足なものを持たない者ほど

外物に憧れる。

(12)

ものを評するは己を告白することだ。

深い人は何でもないことを深く解釈し、

つまらぬ人間は深いことを浅く解釈する。

心暗ければ世暗し、心明るければ世明るし、

心深ければ世深し、心浅ければ世浅し。

(13)

私はものごとを、

とくに難しい問題を考えるときには、

いつも3つの原則に依るように努めている。

第一は、

目先にとらわれないで、できるだけ長い目で見ること。

第二は

ものごとの一面にとらわれないで、

できるだけ多面的に、でき得れば全面的に見ること。

第三に

何事にもよらず枝葉末節にとらわれず、

根本的に考えるということである。

(14)

歴史はくり返す。

たいていのことは古典の中にある。

何千年もたっているのに、

人間そのものの根本は少しも変わっていない。

自分が創意工夫し、

真理を発見したと思っているが、

それは大変な錯覚で、

すでに古典にのっていることを知らないのだ。

(15)

人間は、早成する、

早くものになるというほど危ないことはない。

人間もなるべく晩成がよい。

まあ、

死ぬ頃なんとかものになるというくらいの覚悟で

ぼつぼつやるがよい。

安岡正篤(やすおか まさひろ、1898年〈明治31年〉2月13日 – 1983年〈昭和58年〉12月13日)、日本の易学者、哲学者、思想家。金鶏学院の開学、国維会、師友会の創立など、日本主義の立場から保守派の長老として戦前戦後に亘って活躍した。


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