たとへ神に見放されても、私は私自身を信じる。小説家 谷崎潤一郎の言葉

スポンサーリンク

(1)

自分の欲望を制すれば成功し、

自分本位では失敗するということ。

(2)

人間が

言葉を使うと同時に、

言葉も人間を使うことがある。

(3)

だれしも

離別は悲しいものにきまっている。

それは相手が何者であろうとも、

離別ということ自身のうちに

悲しみがあるのである。

(4)

誰しも「怠け者」と言われて

名誉に思う者はないが、

年中あくせくと働く者を冷笑し、

時には

俗物扱いする考えは絶無ではない。

(5)

いい宝石は泥土に投げ捨て、

火の中へ燻べても

固有の輝きを失わない。

(6)

物と物のあいだにできる

影にこそ、美がある。

(7)

悲しい時には、

桜の花の咲くのを見たって

涙が出るんだ。

(8)

たとへ神に見放されても

私は私自身を信じる。

(9)

我という人の心はただひとり、

われより外に知る人はなし。

スポンサーリンク

(10)

意地の悪い人間は、

その意地悪さを発揮する

相手がいないと寂しいに違いない。

(11)

死ぬということは

生きているより嫌なことです。

けれども、

喜んで死ぬことができれば、

くだらなく生きているよりは

幸福なことです。

(12)

どんな人間でも、

大概一生に一度は

その人間に相応した

華々しい時期と云うものがある。

(13)

恋というのは

一つの芝居なんだから、

筋を考えなきゃ駄目だよ。

(14)

恋愛は芸術である。

血と肉とを以て作られる

最高の芸術である。

(15)

世間はただ私の作品をさへ

見てくれればよいのであります、

それが立派なものなら、

私という個人に用はない訳であります。

谷崎潤一郎(たにざき じゅんいちろう、1886年(明治19年)7月24日 – 1965年(昭和40年)7月30日)、日本の小説家。明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得た。初期は耽美主義の一派とされ、過剰なほどの女性愛やマゾヒズムなどのスキャンダラスな文脈で語られることが少なくないが、その作風や題材、文体・表現は生涯にわたって様々に変遷した。漢語や雅語から俗語や方言までを使いこなす端麗な文章と、作品ごとにがらりと変わる巧みな語り口が特徴。『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』など、情痴や時代風俗などのテーマを扱う通俗性と、文体や形式における芸術性を高いレベルで融和させた純文学の秀作によって世評高く、「文豪」「大谷崎」と称された。


スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存