(1)
時には無理に咲かなくてもいい。
その代わりに、
根を下へ下へと降ろして、
根を張るのです。
次に咲く花がより大きく、
美しいものとなるために。
(2)
世界の人口を
100人の割合で考えると、
高等教育を受けたくても
受けられる人はわずかに1人。
だから、
置かれた場所で
咲くという気持ちを忘れず、
自分が
今できることを一生懸命励みましょう。
(3)
結婚しても、就職しても、
子育てをしても、
「こんなはずじゃなかった」と思うことが、
次から次に出てきます。
そんな時にも、その状況の中で
「咲く」努力をしてほしいのです。
(4)
ささやかな幸せというものは、
また、何か小さなことでいい、
自分に課したものをやりとげた時にも
味わうことができるものである。
(5)
人間と生まれたからには、
どんなところに置かれても、
そこで環境の主人となり
自分の花を咲かせよう、と
決心することができました。
それは
「私が変わる」ことによってのみ可能でした。
(6)
自信を喪失し、修道院を出ようか
とまで思いつめた私に、
一人の宣教師が一つの
短い英語の詩を渡してくれました。
その詩の冒頭の一行、それが
「置かれたところで咲きなさい」
という言葉だったのです。
(7)
人間の幸せというものは、
そして
一人ひとりの人生の豊かさは、
愛するものを持っているか
否かにかかっています。
(8)
自分自身を
いとおしく思える人は幸せですし、
自分の周囲の人々を
“ごたいせつ”に思える人も幸せです。
(9)
決して、毎瞬を緊張して
生き続けるということではなくて、
リラックスする時には
思いっ切りリラックスするということであり、
「今」に、けじめをつけて生きること
だと言ってもいいのかも知れない。
(10)
愛は
それが純粋であればあるほど、
苦しみを伴う。
(11)
もしあなたが、
誰かに期待した
微笑みが得られなかったら
不愉快になる代わりに、
あなたの方から
微笑みをかけてごらんなさい。
実際微笑みを忘れたその人ほど、
あなたからの微笑みを
必要としてる人はいないのだから。
(12)
愛情の深さと歳月は比例しない。
たとえどんなに短くても、
本物の愛は
心を充分に満たしてくれる。
(13)
苦しい峠でも
必ず、下り坂になる。
(14)
深い悲しみにも、
いろんな悲しみがあると思うんですよ。
でも、
愛する人を失った人に、
愛する人を
返してあげることはできませんよね。
慰めたくても、
物質とかお金とか、
家を建ててあげるとか、
職を見つけてあげるとか、
そういうことでなくて、
手の出しようのない悲しみがある。
そういう時には、
一緒になって悲しんであげてください。
(15)
闇の中に置かれたがゆえに、
それまで知らなかった
さまざまな「明るさ」の
有難さがわかるのです。
それこそ、
「当たり前が輝いて」見えてくるのです。