戦いは考え過ぎては勝機を逸する。軍師 黒田官兵衛の言葉

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(1)

 

人に媚びず、

富貴を望まず。

 

 

(2)

 

その人の本質はそのまま残し

変化に対応するには、

常に柔軟でなければいけない。

 

 

(3)

 

人には

気が合う気が合わない

ということがある。

 

 

(4)

 

最期の勝ちを得るには

どうしたらいいかを考えよ。

 

 

(5)

 

戦いは考え過ぎては勝機を逸する。

たとえ草履と下駄とを

ちぐはぐに履いてでも

すぐに駆け出すほどの決断。

それが大切だ。

 

 

(6)

 

文武は車の両輪のごとく、

そのひとつが欠けても駄目である、

と昔の人もいっている。

治世に文を用い、乱世に武を用いるのは、

当然のことであるが、

治世に武を忘れず、

乱世に文を捨てないのが、

最も肝要である。

 

 

(7)

 

大切なのは不相口であって、

相口の者ばかりまわりに集めたのでは、

決してその者にとっていいことではない。

不相口の者が言う異見に耳を傾けるべきだ。

 

 

(8)

 

武芸に凝って、

ひとり働くことを好むのは、

匹夫の勇といって、

小心者の嗜みであり、

大将の武道ではない。

 

 

(9)

 

金銀を

用いるべき事に用いなければ、

石瓦と同じである。

 

 

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(10)

 

四角な器にも円い器にも、

水は器に応じてはいる。

 

 

(11)

 

まず自分の行状を正しくし、

理非賞罰をはっきりさせていれば、

叱ったり脅したりしなくても、

自然に威は備わるものだ。

 

 

(12)

 

大将が文道を好むというのは、

必ずしも書物を多く読み、詩を作り、

故事を覚え、文字を嗜むことではない。

誠の道を求め、何事につけても

吟味工夫を怠らず、

筋目をたがえず善悪をただし、

賞罰を明らかにして、

心に憐みの深いのをいう。

 

 

(13)

 

槍・太刀・弓馬の諸芸を

自から行なうのを、

身分の低い者の仕事であるとして、

自分で一度も行なわなかったならば、

家来たちの武芸も

進歩することがないだろう。

 

 

(14)

 

天下に

最も多きは人なり。

最も少なきも人なり。

 

 

(15)

 

我が君主は天にあり。

 

黒田孝高(くろだ よしたか)、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・軍師。キリシタン大名でもあった(洗礼名はドン・シメオン)。戦国の三英傑に重用され、筑前国福岡藩祖となる。諱(実名)は初め祐隆(すけたか)、孝隆(よしたか)、のち孝高といったが、通称をとった黒田 官兵衛(くろだ かんべえ)、あるいは剃髪後の号をとった黒田 如水(くろだ じょすい)としても広く知られる。軍事的才能に優れ、豊臣秀吉の側近として仕えて調略や他大名との交渉など、幅広い活躍をする。竹中重治(半兵衛)とともに秀吉の参謀と評され、後世「両兵衛」「二兵衛」と並び称された。

 



 

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