さびしさの運用

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さびしさなんて

 

どうせちょっとうれしいことがあれば

 

蒸発してしまう揮発性の感情で、

 

それをわざわざ恨みとか自己嫌悪なんかの

 

めんどくさいものに加工する必要はない。

 

今でもときどき

 

さびしさの波のようなものは訪れるけど、

 

別におそれるようなものではなくて、

 

そういうときもあるわね、

 

というぐらいで、

 

おおむね楽しくやれています。

 

なりたかった状態に

 

自分を持っていけたことは、

 

うれしかったし、安心した。

 

それで今になって思うのは、

 

かつてさびしさに無縁で

 

幸福そうに見えたあの人たちにも、

 

きっとさびしさの波は

 

訪れていたのだろうということです。

 

決して、

 

わたしだけがさびしかったわけではないのだと。

 

ただ、彼らはさびしさを

 

正しく運用していただけなんだ。

 

それだけのことなんだ。

 

大人なんてさびしくて当たり前で、

 

でもそれはただ優しさを指向する力で、

 

だれのせいでもなくて、

 

みじめに感じることもなくて、

 

その力にさからわずに、

 

惹かれるままに、

 

自分のさがしているものを見つければいい。

 

会いたい人には会いたいといって、

 

いきたいところには素直にとびこんで、

 

泣きたいときには思いっきり泣いて、

 

さびしさでいろんなものとつながっていけばいい。

 

わたしはこれからもきっとさびしい。

 

でもそれでいい。

 

 


 

著:枡野 俊明
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