小さな喜びを沢山発見する事は、生きる秘訣にちがいない。絵本作家 佐野洋子が残した言葉

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(1)

充足というものは

誰にとってもほとんど同じ、

ぼんやりしたおだやかなものよ。

苦しみや不幸というものは、

それこそ果てない変化があって、

誰も同じではないわ。

(2)

余命二年と云われたら

十数年私を苦しめてきたウツ病が消えた。

人間は神秘だ。

人生が急に充実して来た。

毎日がとても楽しくて仕方ない。

死ぬとわかるのは、

自由の獲得と同じだと思う。

(3)

4歳の時、

手をつなごうと思って

母さんの手に入れた瞬間、

チッと舌打ちして私の手をふりはらった。

私はその時、

二度と手をつながないと決意した。

その時から私と母さんの

きつい関係が始まった。

(4)

捨てられた女って

燃えるゴミかね、燃えないゴミかね。

… やっぱり燃えるゴミだと思うよ。

捨てられたら

めらめらと怒りに燃えて、

新しい恋に燃えあがる。

(5)

今度生まれたら

「バカな美人」になりたい。

(6)

活字を信じるな、

人間は活字になると

人の話より信用するからだ。

(7)

私なんてね、

自分の核は何かといったら

怒りしかないね。

執念深くいつまでも覚えてて、怒ってるの。

そういうのを「性質タチ悪い」って、

世間では言うわね(笑)。

でも私、

ほんとうに自分を支えてるのは

”怒り”だと思う。

(8)

父が同僚の見舞いに行った。

ガンだったのだろう。

帰ってきて、

「あれはみっともないな、オレの顔をみて、

死にたくない死にたくないって泣いていた。

あんな死に方はみっともないなあ」と

母に言っているのを聞いてしまった。

死に方の美学というものがあったのだろうか。

そのとおりに父は

アウシュビッツの囚人のように

骨ばかりになって、

昏睡状態に陥るまで

壁をつたってトイレに行っていた。

そして、静かに、何も言わずに死んだ。

(9)

私は闘病記が大嫌いだ。

それから

ガンと壮絶な闘いをする人も大嫌いだ。

ガリガリに痩せて、

現場で死ぬなら本望という人も

大嫌いである。

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(10)

私は

ガンになっても驚かなかった。

ガンだけ威張るな。

もっと大変な病気はたくさんある。

(11)

わたしは七十になったけど、

七十だけってわけじゃないんだね。

生まれてから七十までの年を

全部持っているんだよ。

だからわたしは

七歳のわたしも十二歳のわたしも

持っているんだよ。

(12)

やぶれかぶれに、

人間関係複雑で

糸目がどこにあるやらわからず、

こんぐらがったまんま

墓の中まで

もつれ込みたいと思うのである。

(13)

人はどんな不幸な時も、

小さな喜びで生きてゆける。

小さな喜びを沢山発見する事は

生きる秘訣にちがいない。

(14)

世の中って

ふたつのタイプに分けられちゃうのね。

やたらくそまじめと、

他人から見るといいかげんなヤツ。

世界に男と女が

およそ半分くらいに

ばらまかれているのと同じに、

このふたつのタイプが

ちょうどいいかげんに分布している。

(15)

死ぬということを

そう大げさに考える必要はない。

自分が死んで自分の世界は死んだとしても、

宇宙が消滅するわけでも何でもないんですよね。

そうガタガタ騒ぐなという感じはする。

佐野洋子(さの ようこ、1938年〈昭和13年〉6月28日 – 2010年〈平成22年〉11月5日)、日本の絵本作家、エッセイスト。代表作として、絵本『100万回生きたねこ』(1977年)。エッセイ、児童文学、脚本、小説、海外絵本の翻訳も手がけた。


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