『汲む―Y・Yに―』 茨木のり子

スポンサーリンク

大人になるというのは

すれっからしになるということだと

思い込んでいた少女の頃

立居振舞の美しい

発音の正確な

素敵な女の人と会いました

そのひとは私の背のびを見すかしたように

なにげない話に言いました

初々しさが大切なの

人に対しても世の中に対しても

人を人とも思わなくなったとき

堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを

隠そうとしても

隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし

そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな

ぎこちない挨拶 醜く赤くなる

失語症 なめらかでないしぐさ

子どもの悪態にさえ傷ついてしまう

頼りない生牡蠣のような感受性

それらを鍛える必要は少しもなかったのだな

年老いても咲きたての薔薇 柔らかく

外にむかってひらかれるのこそ難しい

あらゆる仕事

すべてのいい仕事の核には

震える弱いアンテナが隠されている きっと……

わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました

たちかえり

今もときどきその意味を

ひっそり汲むことがあるのです

茨木のり子(いばらぎ のりこ、1926年(大正15年)6月12日 – 2006年(平成18年)2月17日)、日本の詩人、エッセイスト、童話作家、脚本家。主な詩集に、『見えない配達夫』『鎮魂歌』『自分の感受性くらい』『倚(よ)りかからず』など。戦時下の女性の青春を描いた代表作の詩「わたしが一番きれいだったとき」(1958年刊行の第二詩集『見えない配達夫』収録)は、多数の国語教科書に掲載されている。


スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存