懺悔者の背後には美麗な極光がある。詩人 萩原朔太郎の言葉

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(1)

非常な善人と、

非常な悪人とは、

感じがほとんど同じです。

(2)

社交の秘訣は

真実を語らないということではない。

真実を語ることによってさえも、

相手を怒らせないようにすることの

技術である。

(3)

幸福人とは、

過去の自分の生涯から

満足だけを記憶している人々であり、

不幸人とは、

それの反対を記憶している人々である。

(4)

自由とは、

自分が「自由である」と

信ずるところの、

一つの幻覚にすぎないのである。

(5)

愛は、

その愛するものを

独占しようと願っている。

しかしながら、

愛はそれに成功してしまった後では、

競争もなく、嫉妬もなく、

退屈でさめやすいものに変わってくる。

(6)

人は新しく生きるために、

たえず告別せねばならない。

すべての古き親しき知己から、

環境から、思想から、習慣から。

(7)

「真面目になる」ということは、

しばしば

「憂鬱になる」ということの外の、

何のいい意味でもありはしない。

(8)

人生では

アマチュアであることが、

また1つの職業である。

(9)

男と女とが

互いに相手を箒とし、

味噌漉しとし、乳母車とし、

貯金箱とし、ミシン機械とし、

日曜の勝手道具と考える時、

もはや必要から別れがたく、

夫婦の実の愛情が生ずるのである。

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(10)

最も親しき友人というものは、

常に兄弟のように退屈である。

(11)

愛を求める心は、

悲しい長い疲れの後にきたる。

それはなつかしい、

大きな海のような感情である。

(12)

懺悔者の背後には

美麗な極光がある。

(13)

おもうに

人間の感情というものは、

極めて単純であって、

同時に極めて複雑したものである。

(14)

羞恥心は

塩のようなものである。

それは微妙な問題に味を付け、

情緒をひとしお深くする。

(15)

民衆の正義とは、

富豪や、資産家や、貴族や、

その他の幸福なものに対して、

利己的な嫉妬を感ずることである。

萩原朔太郎(はぎわら さくたろう、1886年(明治19年)11月1日 – 1942年(昭和17年)5月11日)、日本の詩人。大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。1917年2月刊行の処女詩集『月に吠える』で全国に名を知られるようになった。続いて1923年1月に『青猫』を刊行。これは『月に吠える』と並ぶ朔太郎の代表作とされている。北原白秋に次いで文化学院で教鞭をとる。この他、『蝶を夢む』、『萩原朔太郎詩集』、それらを集成した『定本青猫』がある。これらの作品は、口語体によって書かれ、高村光太郎と共に「口語自由詩の確立者」とされる。


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