善人の罪というものは、やりきれない。小説家 坂口安吾の言葉

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(1)

人間は生き、人間は堕ちる。

そのこと以外に、

人間を救う便利な近道はない。

(2)

悲しみ、苦しみは、

人生の花だ。

(3)

人間は

生きることが全部である。

死ねば全てなくなる。

(4)

人生はつくるものだ。

必然の姿などというものはない。

(5)

女の人は秘密が多い。

男が何の秘密も意識せず

過ごしている同じ生活の中に、

女の人は色々の微妙な秘密を

見つけ出して生活しているものである。

(6)

職業というものは尊いものだ。

なぜなら、

そこにその人の一生が賭けられ、

生活が賭けられているからだ。

金銭もかけられている。

(7)

私は、

ねむるようにして、

いつでも死ねる。

ねむることと、死ぬこととが、

もう実際に

ケジメが見えなくなってしまった。

(8)

自分がこうだから、

あなたもこうしろという

思いあがった善良さは、

まことに救いがない。

善人の罪というものは、

やりきれないものだ。

(9)

人はなんでも

平和を愛せばいいと思うなら大間違い、

平和、平静、平安、私は然し、

そんなものは好きではない。

不安、苦しみ、悲しみ、

そういうものの方が私は好きだ。

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(10)

悲しいかな、

人間の実相はここにある。

然り、実に悲しいかな、

人間の実相はここにある。

(11)

単なる写実は

芸術とは為り難いものである。

言葉には言葉の、

音には音の、

色には又色の、

もっと純粋な領域があるはずである。

(12)

見たところのスマートさだけでは、

真に美なる物とはなり得ない。

すべては、実質の問題だ。

美しさのための美しさは素直でなく、

結局、本物の物ではないのである。

要するに、空虚なのだ。

(13)

大体に於いて、

極点の華麗さには

妙な悲しみが付きまとう。

(14)

政治が

民衆を扱うとすれば

文学は人間を扱う。

(15)

要するに、

生きることが

全部だというより他ない。

坂口安吾(さかぐち あんご、1906年〈明治39年〉10月20日 – 1955年〈昭和30年〉2月17日)、日本の小説家、評論家、随筆家。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する小説家の一人である。純文学のみならず、歴史小説や推理小説、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆、囲碁・将棋におけるタイトル戦の観戦記など多彩な活動を通し、無頼派・新戯作派と呼ばれる地歩を築いた。


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