人のためにではなく、自分のためにやるのだ。登山家 植村直己が残した言葉

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(1)

冒険とは、

死を覚悟して、

そして生きて帰ることである。

(2)

君たちに僕の考えを話そう。

僕らが子供の時、

目に映る世界は

新鮮で全てが新しかった。

医者でも登山家でも

やろうと思えば何でも出来た。

しかし、年をとると疲れてくる。

人々はあきらめ、

みんな落ち着いてしまう。

世界の美しさも

見ようとしなくなってしまう。

大部分の人が夢を失っていく。

(3)

物資に恵まれている中では、

人間本来のものは失われている。

(4)

みんな、それぞれが、

何か新しいことをやる、

それはすべて冒険だと、

僕は思うんです。

(5)

必ず壁はあるんです。

それを乗り越えたとき、

パッとまた新しい世界がある。

(6)

自分で危険に直面せず、

他人に言われただけで中止するとは

まったくいい訳にもならない。

(7)

人のためにではなく、

自分のためにやるのだ。

(8)

弱音を吐きたがる

自分に打ち勝つ以外にない。

進むこと、ひたすら前へ進むこと。

(9)

英語ができない

フランス語が出来ないなどと言っていたら、

一生外国など行けないのだ。

男は、一度は体を張って

冒険をやるべきだ。

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(10)

全力投球で

自分のやりたい事をやることは

楽しいことである。

(11)

僕はとても臆病なんですよ。

高所恐怖症なんで、

高いところでは足が震えます。

(12)

困難のすえにやりぬいた

ひとつ、ひとつは、確かに、

ついきのうのできごとのように

忘れることのできない思い出であり、

私の生涯の糧である。

(13)

たとえどんな山であろうと、

自分で計画し、準備し、

自分の足で登山する。

その過程が苦しければ苦しいほど、

それを克服して登頂して

登りきったその喜びは大きい。

(14)

あきらめないこと。

どんな事態に直面しても

あきらめないこと。

結局、私のしたことは、

それだけのことだったのかもしれない。

(15)

帰る場所は、

やっぱり女房のもと。

植村直己(うえむら なおみ、1941年(昭和16年)2月12日 – 1984年(昭和59年)2月13日)、日本の登山家、冒険家。1970年に世界最高峰エベレストに日本人で初めて登頂した。同年、世界初の五大陸最高峰登頂者となる。1978年に犬ぞり単独行としては世界で初めて北極点に到達した。1984年、冬期のマッキンリー(現:デナリ)に世界で初めて単独登頂したが、下山中に消息不明となった。1984年、国民栄誉賞を受賞。


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