(1)
小さいころから背が高かった。
中学、高校になってからも伸びつづけた。
毎朝、目が覚めるたびに、
ベッドが小さくなっているように感じた。
嫌で嫌でしょうがなかった。
(2)
母は内職をしていた。
袋貼り、何かの部品の組み立て。
小学校のころの家族の思い出といったら、
母の内職を姉妹三人で手伝いながら、
他愛もない話をしたことくらい。
それがいちばん楽しい家族団らんの思い出。
そのくらい、貧しい家庭だった。
(3)
小学校のころだけで三回学校を変わった。
でも引っ越しするのが嫌だったわけじゃない。
それどころか、わくわくしていた。
知らない町に行くたびに、違う自分になれるような気がして。
友だちと別れるのもつらくなかった。
むしろ、ほっとした。
そろそろ演じている自分に飽きてくるころだったから。
(4)
新しい学校では、
それまでのわたしのことを知ってる子は誰もいないんだから、
好きな”わたし”を選ぶことができた。
だから、行く先々で、
いろいろな”わたし”を演じてきた。
でも、”本当のわたし”はどこにもいないということだ。
(5)
わたしには父がいる。
そしていない。
わたしは母を憎んでいる。
そして愛している。
(6)
ごめんね。あなたをひとりにして。
ごめんね。
でも、しかたないのよ。
あなたのためにもお母さんは働かなきゃならない。
しかたなかったのよ。
自分に言い聞かせるようにつぶやいては、
そういう自分が情けなくなる。
(7)
言い訳ならいくらでもできる。
でも、
どれだけ言い訳したところで、
息子の悲しみが減るわけじゃない。
(8)
お母さん…
口ごもった彼が言いたかったことが、
わたしには痛いほどわかっていた。
だって、
それはあの子と同じ年頃のわたしが、
わたしの母に言おうとして、言えずにいたことだから。
「お母さん、わたしのこと、好き?」
(9)
子どもができたら、
その子には、自分と同じ思いは絶対させないこと。
それが、少女時代のわたしが唯一望んだことだった。
固く誓ったことだった。
それなのに、どうしてこうなっちゃったんだろう。
(10)
「ぼく、生まれてこなきゃ、よかった」
息子はもう泣いてはいなかった。
九歳とは思えない大人びた静かな声で、
息子は言った。
(11)
小さな命が、わたしの腕の中で、
たしかに息づいている。
自然と涙があふれてきた。
それまでの数時間に及ぶ、
想像を絶する陣痛のことなんか、
まるでなかったように忘れてしまった。
ただただ、うれしくて。
ただただ、感動して。
もう一生分の感動とか喜びが、
この瞬間に詰まっていると思った。
(12)
黙りこくってうつむく息子の頭を抱えながら、
わたしは心の中で叫ぶ。
間に合う!
まだ、絶対に間に合う!
だってわたしが産んだんだから。
絶対に間に合う!
必ず、息子の心をもう一度、わたしとつなぐ!
わたしの本当の意味での母子奮闘の日々が始まった。
(13)
二〇一三年、夏。
わたしは倒れた。
出産のときを除くと、生まれて初めての入院だった。
周囲の心配をよそに、じつはわたしは、
ほっとしていた。
仕事から離れて、やっとゆっくり眠れた。
それに何より、息子と毎日いっしょに寝られる!
(14)
わたしは何より、自分自身に怒っていた。
わたしは何より、自分自身を大切にしてこなかった。
わたしには、
自分を愛する資格も、
誰かを愛する資格も、
誰かに愛される資格もない、そう思い込んでいた。
でも。
今、わたしのかたわらには、
わたしを誰より必要とし、
わたしの愛だけを求めている息子がいた。
その息子を愛しているわたしがいた。
(15)
自分自身をのろい、
自己を否定し、自身を否定し、
自身を愛してこなかったこれまでの生き方。
そして母への憎悪。
それらすべてが浄化されていくのを感じた。