自分を追いつめないようにすること。作家 曽野綾子の言葉

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(1)

「させられる」と思うから

辛かったり惨めになるので

「してみよう」と思うと

何でも道楽になる。

(2)

何が正しいかなんて

誰にもわからないのだから

自分の思うとおりに進んで

その結果を

他人の責任にしないことが

大切ではないかと思う。

(3)

自分を

追いつめないようにすること。

その方法は

何にでも「たかが」を

つけて考えることです。

(4)

得たものは、

得た瞬間から失う恐れがある。

それは現世の厳しい約束事である。

(5)

私は死を思わぬ日は一日もないが、

過去の話ばかり

するようなことは全くない。

私はまだ、

今日と未来の真っ只中にいる。

(6)

誰かと分け合える苦しみなんて、

若い人はいざ知らず

私のような年になると、

大したものじゃない、

という気がするのです。

本当に苦しんでいる人は、

ひとりです。

(7)

別れに馴れることは容易なことではない。

いつも別れは心が締めつけられる。

今まで歩けた人が歩けなくなり、

今まで見えていた眼が見えなくなり、

今まで聞こえていた耳が

聞こえなくなっている。

そして

若い時と違って

それらの症状は、

再び回復するというものではない。

(8)

友人に先立たれる場合のことは、

常に事前に、繰り返し繰り返し

予想することが大切である。

そうするとやってきた運命に対して

心構えができている。

いよいよ別れるのだ、と嘆くよりも、

何十年か楽しく付き合ってもらって、

ありがたかった、と

感謝すればいいのである。

(9)

私は友人によって、

私の生涯をこの上なく

面白いものにしてもらった。

そのことに対して、

私は死ぬまで一度も改まって

感謝することもないだろうけれど、

心の中では、

いつも深い幸福に満たされていることを

忘れたことはない。

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(10)

風の中にいるように、

いつも素直に、しなやかに、

時間の経過の中に、

深く恨むことなく生きていきたい。

(11)

人間がいつまでも生き続ける

ように見える世界だけを

対象にしていると、

私たちは判断をあやまり、

大して重要でもないものに

がんじがらめになる。

しかし死の観念と共に生きていると、

多少とも選択を誤らなくて済む。

自分にとって本当に要るものだけを

選ぶようになる。

(12)

長い生涯を振り返ってみて、

私は幸福な人というと

誰のことを思い出すだろう、

と思うのである。

どこのうちにも不幸はあり、

誰も重荷を背負っている。

それのない人などない。

(13)

自分だけが被害者のように

憐れみも貶めもしない。

自分だけが大事と

思わない癖をつける。

自分を人と比べない。

(14)

老齢になったら、

自然に身を引かなければならない。

それとなく、

皆様のお目に触れる

機会を少なくしていくのが、

死の準備として必要と思う。

(15)

晩年を一人で過ごす寂しさは

気を許した会話の可能性を

閉ざされたということなのだ。

もう喋る相手はいなくなった。

語る時は独り言になったのだ。

曽野綾子(その あやこ、1931年(昭和6年)9月17日 – )、日本の作家。「曾野」表記もある。夫は三浦朱門。『遠来の客たち』が芥川賞候補に挙げられ、出世作となった。以後、宗教、社会問題などをテーマに幅広く執筆活動を展開。エッセイ『誰のために愛するか』はじめベストセラーは数多い。近年は生き方や老い方をテーマとしたエッセイが多く、人気を集めている。保守的論者としても知られる。大学の後輩である上皇后美智子さまとは親交が深く、三浦の生前から夫婦ぐるみで親しかった。上皇后(天皇)夫妻が葉山で静養する折、夫妻で三浦半島の曽野の別荘を訪問することも多い。日本財団会長、日本郵政取締役を務めた。日本芸術院会員。文化功労者。


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