人が決まってウソをつくとき。それは狩りの後、戦争の最中、そして選挙の前。政治家 ビスマルクの言葉

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(1)

人が決まってウソをつくとき。

それは狩りの後、戦争の最中、

そして選挙の前。

(2)

「原則としては賛成だ」と

人がいう時、その人間は

それを実行しようする意思を

微塵も持ってはいない。

(3)

歴史が証明する所に拠ると、

逃した機会は二度と戻らない。

(4)

的確な弾丸よりも

鋭い弁舌のほうが強い。

(5)

絶対主義が第一に

支配する者に求めることは

公平さ、誠実さ、

義務感の強さ、精力的な活動、

謙遜の心を持つことである。

(6)

勝利に終わる戦争と言えども、

常に一つの悪であると私は考える。

政治は民衆をそれから守る

努力をしなければならぬ。

(7)

われわれは愛と好意には

たやすくまるめこまれる。

おそらくはあまりにたやすく。

しかし

脅しによってまるめこまれることは

絶対にない。

(8)

世界を

騙したいのであれば

真実を話せ。

(9)

青年に勧めたいことは、

ただ3語に尽きる。

すなわち

「働け、もっと働け、あくまで働け」だ。

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(10)

賢者は歴史に学び、

愚者は経験に学ぶ。

(11)

強い者に

食い殺されるのは

弱い者の宿命だ。

(12)

礼を欠いてはならない。

文章は

外交的なものとすべきである。

宣戦布告の際であっても

礼儀は守るべきである。

(13)

わたしの立場にあっては

我意を通すことは場合によっては

まさに犯罪行為である。

責任のない立場にあれば、

そんな贅沢も許されようが。

(14)

政治とは、

可能性の芸術である。

(15)

鉄と血が、

命運を決定する。

オットー・エドゥアルト・レオポルト・フォン・ビスマルク=シェーンハウゼン(独: Otto Eduard Leopold von Bismarck-Schönhausen, 1865年からビスマルク=シェーンハウゼン伯爵〈独: Graf von Bismarck-Schönhausen〉,1871年からビスマルク侯爵〈独: Fürst von Bismarck〉, 1890年からラウエンブルク公爵〈独: Herzog zu Lauenburg〉、1815年4月1日 – 1898年7月30日)、ドイツ(プロイセンおよびドイツ帝国)の政治家。プロイセン王国首相(在職1862年 – 1890年)、北ドイツ連邦首相(在職1867年 – 1871年)、ドイツ国宰相(在職1871年 – 1890年)を歴任した。ドイツ国の初代ライヒ宰相を務めたドイツ統一の中心人物であり、「鉄血宰相(独: Eiserne Kanzler)」の異名を持つ。1890年に失脚するまで強力にドイツを指導した。文化闘争や社会主義者鎮圧法などで反体制分子を厳しく取り締まる一方、諸制度の近代化改革を行い、また世界に先駆けて全国民強制加入の社会保険制度を創出する社会政策を行った。卓越した外交力で国際政治においても主導的人物となり、19世紀後半のヨーロッパに「ビスマルク体制」と呼ばれる国際関係を構築した。


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