先のことは誰にもわからないけど、自分が納得いくまでやれば、それでいいんじゃないか。志村けんが残した言葉

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(1)

自然体が好きなんです。

人生の目標も「自然でいること」。

普段からできるだけ見栄を張ったり、

大きく見せようとしたりしないよう心がけてるんです。

(2)

心がこもってないと見透かされちゃうし、

「子ども用」と設定してやるとバカにされます。

(3)

僕は自分が

面白いと思うことしかやらないです。

(4)

努力なんですよ。

つねに何かをしてないと。

人が遊んでるときに遊んでたら、

普通の人間になっちゃうし。

(5)

素顔は見せたくない。

どうせ苦労話になっちゃうし

『ああ、大変なんだな』と言われるのは嫌ですしね。

(6)

メークしていない時はすごい緊張しますよ。

だからあまりトーク番組は出ないんだよね。

一生懸命やればできるとは思うけど、

自分でもおもしろくないと思う。

(7)

夕飯のとき、お笑い番組をつけていると、

それを見て親父がクスッと笑う。

その瞬間、家のなかがパッと明るくなるのが嬉しくてね。

「ああ、笑いの力ってすごいんだな」って。

(8)

マンネリって、やり遂げた証でもあるんです。

音楽で言えば、スタンダードナンバー。

流行に左右されない確固たるものって、

やっぱりいいなと思う。

(9)

手を抜こうと思えばいくらだって抜ける。

でも1回手を抜いたら、

つまらなくなってしまうのは目に見えている。

だから、やっている間はとことんまでやるしかない。

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(10)

人間の欲望や要求にはきりがない。

「三割満足で十分」でいけば、

世の中腹の立つことも少なくなるだろうし、

けっこう丸く収まると思う。

(11)

最近つまらないのは、

放送翌日、

見た人が話題にすらしない番組が多すぎること。

(12)

舞台の上で死ぬのが理想だもん。

「お疲れ様でしたぁー」で、起きてこないのがかっこいいじゃない。

だって一番最後に聞くのがお客さんの拍手と歓声っていうのが。

本当にコメディアンとしての夢よ。

(13)

あいつは変わってる、

と言われるのは光栄なことだ。

(14)

先のことは誰にもわからないけど、

自分が納得いくまでやれば、

それでいいんじゃないか。

(15)

分かる人には、

演者が馬鹿で無い事くらいわかる。

むしろ利口ぶったり、

文化人ぶったりするようになったら、

芸人としておしまい。

志村けん(しむら けん、1950年〈昭和25年〉2月20日 – 2020年〈令和2年〉3月29日)、日本のコメディアン、お笑いタレント、司会者。東村山市名誉市民。ザ・ドリフターズのメンバー。ザ・ドリフターズのメンバーとして活躍する傍ら、亡くなるまで自らが持つ番組でコントを披露し続けた。生前時は渡辺プロダクションを経てイザワオフィスに移籍し、同じくザ・ドリフターズのメンバーで、2004年(平成16年)に死去したいかりや長介と同様に没後も籍を残している。1973年までの旧芸名の表記は「志村 健」。ドリフでの初期には「志村 ケン」名義での表記もあった。本名は志村 康徳(しむら やすのり)で、構成作家としては本名名義でクレジットされた。


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